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国府10回生、卒業50周年記念事業実行委員会副会長を務めて下さっていた木全弘之さんは、平成20年1月15日急逝されました。皆様より寄せられたメール投稿、談話室投稿を列記し、故人を偲ぶことに致します。 |
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訃報 2008/01/16(Wed) 22:48
木全弘之さん(国府高校10回生 商業科)が1月15日ご逝去されました。
・喪主 木全 博聖(ひろまさ)様(弘之さんのご長男)
・通夜 1月17日(木)午後7時〜
・葬儀 1月18日(金)午前10時〜
・会場 「プレア瑞穂」 名古屋市瑞穂区新開町7−26 電話 052−883−0808
国府高校10回生 高田 孝一 |
追悼・木全弘之さんを偲ぶ アミーチ 2008/01/17(Thu) 04:11
信じられないことが起こりました。昨日広報部会の会合があり、商業科の伊藤さんが「明日、木全とゴルフへ行く予定だった、顔を見るまでは信じられん」小澤さん、白井さん、栃久保も呆然と半信半疑でした。
来る5月の50周年同窓会の10回生の副会長として活躍の最中、普通科との交流にも積極的に参加してくださいました。木全さん!せめて5月18日の同窓会をご一緒したかったですね
・・・(中略)・・・
天国でもバスケをしたり、ゴルフをしたり、カラオケしたり、楽しい仲間をつくって下さい。そうそう本物の裕ちゃんによろしくね。
さようなら木全さん、楽しさをありがとう!
心からご冥福をお祈りいたします。 |
返信: 訃報 パレット 2008/01/17(Thu) 06:06
突然の訃報に驚いています。
アミーチさん、さすが広報部、木全さんの思い出の数々の投稿ありがとうございます。
アミーチさんより、木全さんの高校時代の話を聞かされていた私、ここで初めて青春の燃えたぎる若さ溢れる木全さんの姿を拝見いたしました。いつも話題の方であったことがよくわかりました。
関西同窓会の神戸の町見学の際、多すぎる私の荷物をみて、優しく手を貸してくれました。
木全さん、ありがとう。あなたの優しさ忘れません。
ご冥福を謹んでお悔やみ申し上げます。 |
2008/01/17(Thu) 10:17 神谷清美(川上)
木全さん、バスケでは楽しい思い出ばかりでした。卒業後もOB会の継続に心配りをしていただき、大きな柱がなくなり本当に言葉に云えない寂しさです。
昨年の勘助旅行では、足が弱い私の心配ばかりしてくれて嬉しかったです。「5月まではお互いに健康に気をつけて再会しよう」と励ましあったのに・・早く逝ってしまったのですね。葬儀には出させていただきます。
合掌
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返信: 訃報 リンチャン 2008/01/17(Thu) 10:49
木全弘之さんの訃報信じられません。高校時代は全然交流がありませんでしたが、こうてん会のお陰で、親しくお話が出来る様になっていました。本当に残念です。
心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌 |
心よりご冥福を申し上げます スターダスト 2008/01/17(Thu) 16:11
今パソコン開いて、大変おどろいています。
あんなに元気だった人がいったいどうしちゃったのでしょう?あまり交流はありませんでしたが、いつもお元気で精力的に行動なさっていた姿が目にうかびます。
ご家族の方々のお悲しみを思うと胸が潰れんばかりです。心よりご冥福を申し上げます。 合掌 |
2008/01/17(Thu) 20:24 西川伸之
木全とはバスケ部で練習もしたし喧嘩もしたよ。前に奥さんとも話したが、本人は限られた命を自覚していたし、家族も自由奔放に生きることを認知していたと思う。
失う寂しさ、心の空洞感を充分分かっていて、故郷の友人や知人を大切にしていた。とくに近年は故郷回帰になっていたので、友人との付き合いや遊びを大いに楽しんでいたよ。
バスケ部の生田に連絡し明日のことを考えている。 |
返信: 訃報 リボン 2008/01/17(Thu) 21:35
木全さんの訃報、びっくり致しました。昨年白川郷へ行った時、高山の街は見た事があるからホテルの屋上温泉に入ろうと美っちゃんと行ったら木俣さんと一緒になり入浴料を出して下さいました。タダでは悪いわと言ったら頼まれ事をして下さいました。もちろん男湯、女湯に別れてでしたが。勘助旅行の時「僕達三人、一緒に温泉に入った仲」なんて周りに言ったので違う、違うと言って大笑い。懐かしい思い出になりました。周囲を常に楽しく盛り上げて下さった木俣さん有難う。謹んでご冥福をお祈り申し上げます |
返信: 訃報 ダーバン 2008/01/17(Thu) 22:51
[東中の兵が逝った]残念の極み。共に大阪で働いたこともあり、会えば大阪の話題に花が咲いたものである。関西同窓会が楽しい思い出となった有難う。ご冥福を祈る。合掌。 |
返信: 訃報 楓 2008/01/18(Fri) 08:36
木全さんの訃報に愕然とし、心よりお悔やみ申し上げます。
学生の頃は、一度もお話しした事有りませんでしたが、昨年の関西同窓会、勘助旅行をご一緒させていただき、トンチとユ-モアたっぷりで周りを笑わせ明るくして下さり、親しく成れましたのに こんなに早くのお別れとは 悲しみに耐えません。沢山の真心とパワ-を頂 有難う御座いました。心よりご冥福をお祈りもうしあげます。 |
イチマル会の仲間に囲まれて |
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2007年7月、クラス会準備 |
2007年6月、徳川園 |
1994年、中尊寺 |
1996年忘年会、鈴木氏宅 |
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国府10の仲間に囲まれて |
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2007年4月、関西同窓会 |
2007年9月、勘助ゆかりの地を尋ねて |
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告別の日に |
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喪主、ご長男・博聖さん |
ご親族 |
参列者 |
10回生、あつた蓬莱軒 |
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木全さんとお別れ 高田孝一 2008/01/18(Fri) 16:13
木全弘之さんの葬儀が、本日、10時から「プレア瑞穂」で行われました。
国府高校商業科の方(30名余)他多数の方が参列されました。
・・・(後略) |
返信: 木全さんとお別れ 小澤武夫 2008/01/18(Fri) 21:25
ご長男さんが、父弘之さんについて、最後の喪主挨拶で次のようなことを語っていました。
先の大手術で一命を取り留めた後の4年間は、まさに神から余分に授かった4年間で、孫との至福の時間を楽しみ、友との気ままな時間を楽しんだ幸福な人生だったと思う・・・。
還暦をはるかに過ぎた我々は、神から余分な命を頂いている年齢と言えるかも知れません。悔いの無い(せめて悔いの「少ない」)余生でありたいと思っています。木全君安らかに。 |
返信: 木全さんとお別れ アンディ 2008/01/19(Sat) 07:50
貴方とは同窓会役員が縁で、いろいろな想い出が出来ました。ありがとう。
「関西懇親会」では、障子戸越しのユーモア溢れる面接談話。
「商業科の幹事会」へ飛び入りした時に、将来を期待して二人並んで撮った写真。
「合同クラス会の懐かしの写真館」では、最前列でスクリーンを食い入るように見ていたことが思い出されます。
しかし、誠に残念ながら「白川郷の旅」でのカラオケ最優秀賞のブランデーグラスの余韻を残して、突然、君は旅立ってしまった。
心からご冥福をお祈りいたします。 合
掌 |
アミーチ 2008/01/19(Sat) 08:40 (昨夜、加藤昭子さんから電話がありました)
「木全さんは白川郷へ参加の時、バス酔いになり、薬をあげたり席を替わったり、介護役をさせていただき、親しくさせていただきました。5月の同窓会に再会できると楽しみにしていました。残念でなりません。唯々驚いております。いつかデュエットで歌いたい夢も、夢となってしまいました」 |
返信: 木全さんとお別れ ゆり 2008/01/19(Sat) 11:19
昨夜 メールを開き 驚いております、昨年の関西同窓会が 卒業以来の再会で、色々 お話が出来、嬉しかった・・・一度、福岡勤務の折 当時4人福岡におり、会おうとお電話いただいたままになり、・・・・今度の記念同窓会を楽しみにいたしておりました、本当に残念です。
小・中・高 御一緒でした、遠く、海を越え、心からご冥福をお祈りいたします。 |
木全君君の人生はよかったね。もう「千の風…」を歌ってるかネ。 2008/01/20 11:37
木全君、君の人生は短かったけど大変良い人生だったね。
こうてん談話室も君の世話好きで暖かな人柄のせいで、ここ数日は君を偲ぶ言葉であふれています。
思えば中学の時からの出会いだったね。君も僕も運動が大好きで、君はバスケット、僕はバレーと陸上部に属していました。
高校を卒業してから暫くは、年賀状だけの交歓でしたが、社会人になってから君が大手建設会社の九州営業課長として赴任してきて、君の会社が建てた福岡・中洲の第5ラインビルのテナントに入っている色々なクラブやスナックに一緒に行って飲んで歌いました。その頃はまだカラオケなどなかったので、いつもピアノ伴奏か、流しのギターかアコーデオンが伴奏でした。君も僕も肺活量が大きいので歌などはソフトに上手く歌えたのだよね。
僕が佐世保に転勤になって、奇しくも僕が定宿にしていた旅館の女社長が建てる予定であった、現在の九十九島観光ホテルの建設にも、君が入札に名乗りを上げ、結局は落札出来なかったけど、後で社長が君が僕の友達であることを知って大変済まなかったとよく話したものです。それは君が本当に精力的に働きかけたこと、それと君の人柄がとてもよかったことだったようです。佐世保のようなところでは政治的なことも働いて、地元の有力者の力で他の業者になったと聴きました。君はそれを知ってもそれはそれで仕方ないと言ってその後も時々佐世保に来てはその社長と歓談していましたね。そんな時いつもいつも君の心の深さに感心したものです。
昨年の関西地区同窓会時には、電話したら「荻野に会いたいからぜひ行くよ」といって来てくれました。2次会ではこうてんの多くの美女達に囲まれて二人は大はしゃぎしました。魔女達に変装などさせられて、久しぶりに楽しい一時を過ごすことができましたよ。あれが君との最後。
18日のお別れには遠方でもあるし都合でいけなかったけど、夕方一人でカラオケ屋に行って君に変わって「千の風になって」を歌いました。
最後は胸が詰まってしまい声も詰まってしまいました。
どうぞご家族のみなさんを、そして君との永久の別れを悲しむ「こうてん」の仲間を見守ってください。
僕らはこれからも、健康に気を付けて出来るだけ長生きして行きたいと思います。
ではではさようなら、木全君。
荻野 高司
追伸:談話室にも載せようと思いましたが、何度書こうとしてもとうとう書けませんでしたので、代わりにメールの投稿です。
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木全さんとのお別れを 偲ぶ 皆様
荻野さんから木全さんに送る 弔辞を涙で読ませて戴きました。
関西地区の同窓会の2次会で 荻野さんと木全さんがヂュエットで『千の風になって』を歌って下さった歌声が 昨日の様に 思い出されます。
木全さんは亡くなられましても 風になり光になり コウテンの私達を何時も 見守り 明るく照らし続けて下さる事と 信じます。
木全さんが 『わが人生 悔いはなし・・・』と 素晴らしい 痺れるような低音で歌われた この歌は木全さんの心情だったようにも思えます。
私等に 沢山の真心や 沢山の想い出を残して下さった 素晴らしい人生だったと思います。
2次会で 曲名『だんな様』を 木全さんと夫婦に成って歌って 楽しんだ想い出も 人生の一コマとして残りました。
5月の同窓会には お会い出来ると楽しみにしてましたのに、残念で力落としました。
今日は 檀家寺で『報恩講』が勤まり 法話を聞いてまいりました。
生かされて居る事への 感謝の気持ちと お陰様の心を しっかり心に刻み込んで来ました。
木全さんとの別れで 今日は何時も以上に 説法が身に沁みました。
残された人生 明日の我が身は解りません 一日一日を大切に 悔いの無い人生を送りたいと思います。
氏原よし子
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木全君との思い出 伊藤隆康
私と木全君とは、高校時代はクラスも違い、又、部活動も野球部とバスケット部と言うことで、顔と名前を知っていた程度であまり話しもしなかった記憶があります。木全君と深い付き合いに成ったのは、1979年のイチマル会を発足してから、会う機会が多くなり友達に成りました。卒業30周年記念事業の時、イチマル会も女性会員を入会できる様にしてはどうか ?と言う事になったら、先頭に立って女性会員を入会させて、あっという間にイチマル会は50人近い会員になった事もあります。
又、足立君、竹内君、鈴木君、と今は亡き小久保君などと北陸の片山津でゴルフをして、夜は忘れもしない「突撃・のらくろ一等兵・トテチテタ−」などをして一夜を過ごした事、この時は木全君だけわざわざ奈良から一人で参加してくれました。京都の総会では、京都・南禅寺前にある老舗l料亭「八千代」を手配し、夜は八坂神社前のスナックでカラオケなど思いでは沢山あります。
そして、電話好きの木全君、用事もないのに、元気か ? 何をしている ? 奥さんも変わりないか ? そうか
? ・・・電話を切る。 こんな電話が何度もありましたよ・・・・・・ 今思えば、故郷恋しさに、友人、知人に電話を掛けては寂しさをまぎらわして、いたようにも思われます。やはり、木全君にとって、故郷は忘れられない思いで多き青春だったと思います。最近では、こうてん会や関西同窓会にも出席をして、普通科と商業科の大きな橋渡しをしてくれた功労者だと思います。
そうそう こんな電話もありました。
夜遅く電話を掛けてきて、隆ちゃん聞いてくれと言って、色々な話をして最後に、木全君は電話した相手に対して、「分かったお前は出席しなくてもいい・・・今後はお前とは付き合いはしない・・・」と言ってやったと電話してきたので、自分は木全君に相手は病後で今は精神的に悩んでいるから相手の気持ちにもなってやれ///と言うと、「隆ちゃんは何時も皆んなには、とても優しく接しているのに、俺には優しく言ってくれた事がない」と言われた事があります。
でも自分は、木全君に「俺もお前も手術後は好きな事をしてゴルフも一緒に出来るじゃないか ? 本当にお前が又、再手術でもして入院したら、俺は一番最初に病院へ行って優しい言葉を掛けてやるよ!!!」と言うと「隆ちゃん本当か?? その時はたのむよ」と嬉しそうに電話を切った・・・・・
それが突然の訃報・・・・優しい言葉も掛けてやれずに残念に思っております。
しかし、告別式に出席させていただき、同級生と一緒に生花を入れる時に、「優しい言葉を掛けてやれずにゴメンね」と棺の中にいる木全君の口元にそっと生花をささげてお別れをしました・・・・・・ 合掌 |
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