談話室忘年会 1組 投稿者:みやこわすれ 投稿日:2022/12/01(Thu) 07:25 No.30483 皆さんお早う御座います。 談話室忘年会も始まりました。(1組の方は↑返信より、どんどん投稿下さい) 今から66年前の私の思い出深い一コマを添付して、 今日ある吾を幸せに思います。 市役所の庁内報に投稿した原文そのままを用いて、この一枚としました。 ←添付を拡大してご覧頂ければ、より詳しく吾の傘寿を超えた今を語る 一枚であることをご理解頂けると思量します。 我が人生を川柳一句で〆る 「苦労して 学舎いでて 今がある」 一組幹事 蛛@ 合掌 添付:30483.jpg (676KB) 返信: 談話室忘年会 1組 - 光龍氏 2022/12/01(Thu) 16:32 No.30485
車両ナンバーにご注目ください 気に入ってて15年乗ったクラウン(白色)でしたが、安全装置の付いた物に替えようと、ホンダのフィットを買いました。老人なので黒色を選んだのですが、納車されてびっくり! なんとナンバーが「9614」(くろいよ)なのです。「希望ナンバー」制度に申し込んだわけではありません、全くの偶然です。 “人生には「偶然」(良いのも・悪いのも)が時々現れるものだなあ”と改めて思い知ったことが、ご報告したい今年の出来事です。 返信: 談話室忘年会 1組 - ゆり 2022/12/02(Fri) 11:12 No.30489 コロナで生活が変わってしまいました。 毎日 仕事と家事に追い回されております。 私達夫婦は、開業してから いっも一緒ですので いっ迄 2人で 力を合わせ やってゆけるのか 考えてしまいます。 私はまだ 身体は大丈夫と思っておりますが 夜は早く休みたくなりますし、物忘れが多く 自分ながら呆れております。 来年も 今のままで過ごせますように 頑張りたいと思っております。 11月はじめ 京都にて 返信: 談話室忘年会 1組 - みやこわすれ 2022/12/03(Sat) 09:53 No.30493 談話室忘年会1組の投稿の方に感謝致します。 尚、投稿を計画されている方もおられましょうが、後の組の方 の事も考えて、幹事独断いたしまして一時、12月3日午後3時頃をめどに一組は凍結します。 投稿される方はすべての組終了の後、お願い致します。 {但し、他の組の方の投稿中でも・・、一組の返信をクリックして追加投稿もできます、あしからず」 すべての組の方に心から、感謝申しあげます。 いずれかの日、お逢いいするかとおもいますが、その節 は宜しくお願いいたします。 最後に成りましたが、師走の折、皆さんの身体堅固を祈り 文を閉じます。 2組幹事の方宜しくお願い致します。 多謝也 一組幹事 蛛@伸 吾 合掌 返信: 談話室忘年会 1組 竹内稔弘 - みやこわすれ 2022/12/05(Mon) 11:33 No.30530 元気です!豊橋松葉公園近くで婦人科開業、今も現役で、日曜日、祭日以外は診療しています。 同級生で医者になった、荻野辰一郎君(3組)、後藤紀夫君は亡くなられました。 小林正直君は愛知県蟹江で開業していますが、体調不良で仕事を休んでいます。 コロナ以降は旅行無し、10年連続で弾丸登山(日帰り)の富士山、御嶽山も中止、専ら本宮山です。 年間100回目水曜日、土曜日午後、休日に登り、累計2,000回を越しました。 平日は100人弱、土、日曜日は300―500人位、最近はタンパン・タイツで 密着型の小さなリックサックを背にしたトレイルランの走って登り降りする人が多いです。 月に2回杖の代わりにトングを持って登山道掃、ごみ、枯れ枝、小石拾 いしながら登っています。 定年の無い僧侶の高柳伸吾君、農業の高田孝一君、私、自分からやーめたと言う迄、 体の動く間は仕事、仕事。 竹内稔弘 返信: 談話室忘年会 1組 - ヨーデル 2022/12/06(Tue) 22:19 No.30543 こうてん会の皆様 今年も師走になり、残り少なくなりました。 少し遅くなりましたが「談話室忘年会」に投稿いたします。 僕は小学生の時から歌が好きでよく「昭和歌謡」を歌っておりました。 中学生の頃から合唱部に入って唄うようになって、国府高校では音楽担任の石原先生の指導の下に、NHK全国高等学校合唱コンクールに参加して、東三河大会まで参加しました(予選で終わり)。 大学時代から、本格的に合唱が好きになり、その後 この7年前まで約60年余りあちらこちらの「合唱団や歌の会」で唱ってきました。 しかし約7年前に近くの山に登り 誤って転んで左膝を痛め〜それから現在も毎週リハビリで整形外科に通いやっとゆっくり歩けるようになりました。 添付の写真は、今から12年前(2010.6.28)に、平和を願うためにウクライナ・リヴィウに招かれて、歴史あるリヴィウフィルハーモニーホールで日本から40名+ウクライナの団員合わせて約80名で「第九」を唱いました。 ・写真は演奏会を聴くために、当時同じ合唱団にいた友人と一緒に行ってくれたフリージアさん(故原田道子さん)が写してくれたものです。 |