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中日歌壇で最優秀 投稿者:ファーマー 投稿日:2022/12/25(Sun) 06:47 No.30588
白いブランコさんの短歌が 最優秀作品

今朝の「中日新聞」で、白いブランコさんの短歌が、最優秀作品として紹介されています。

こうてん仲間が活躍されるのを見るのは嬉しいですね。

   
   雪の夜の 豚汁どの子も 好きだった

      思いっきり母親やっていたあの頃

添付:30588.jpg (212KB)
返信: 中日歌壇で最優秀 - 光龍氏 2022/12/25(Sun) 20:51 No.30589
ファーマーさん

白いブランコさんが「中日歌壇」の「年間最優秀作品賞」を受けられたのですか!
私も「大嬉し」です。おめでとうございます。これからも是非よい歌を詠んでください。

さて、昨日の朝、雪が積もりました。そこで、どなたかが雪のことを投稿してくださるだろうと期待していました。ところが、今もって投稿が無いので、こんな古文を思い出しました。

『徒然草』(第31段):雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事(かへりごと)に、「この雪いかゞ見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。 *「がり」は、人の「許(もと)」の意。

〔口語訳〕 朝から、珍しく雪が降り出した日のことです。ある女性の所に、急ぎの用事があったので、用件だけ書いて手紙を持っていかせました。
すると、まもなく届いた返書には、「今朝の雪のことに、一言も触れていらっしゃいませんね。そんな風流を理解しないような、わからず屋の、おっしゃることなんか、聞けるものですか。本当に、情けないお心ですこと。がっかりしました」と書かれていました。まったくそのとおりで、実に心に残る手紙でした。その人は、もう亡くなっているので、こんなちょっとしたことも忘れることができないのです。

・高1時、上原達次郎先生に習ったので、皆さんもご存じでしょう。
*左上の写真:自分では雪を撮らなかったので、netで。【投稿者名】渡辺さん。【撮影場所】尾張旭市内の維摩池。【撮影日】2022年12月24日。


返信: 中日歌壇で最優秀 - ファーマー 2022/12/26(Mon) 06:59 No.30590
光龍氏さん

「風流を理解する」 言うは易しですが、なかなか実践できませんね。

雪の朝、「ああ初雪だなあ」と思っていました。しばらくして「庭に雪が積もり始めました。」 もう少し沢山積雪してから写真を撮ろうと思っていたところ、すぐに雪は止み、雪が解け始めました。 しまったと思いましたが、後の祭りでした。

光龍氏さんと同様、積雪の多かった地区の方が、そのうち「投稿」されると期待していましたが、残念ながら投稿がありませんでした。
  タイミングを失すると、できないことが多いですね・・・。

上原達次郎先生の記憶は残っています。凄いゆっくり講義される先生であったと思います。 対象的な先生は鈴木拓郎先生でした。

(写真:富士山の雪  いいですね・・・。 ネットから借用)


返信: 中日歌壇で最優秀 - ファーマー 2022/12/26(Mon) 18:08 No.30591
小島ゆかりさんが来年の「歌会始」の召人に

中日歌壇の選者は島田修三さんと小島ゆかりさんが担当されています。
白いブランコさんの短歌は、いつも島田修三さんの選で紹介されています。 小島ゆかりさんは、先日、アミーチさんが幼稚園の先生の時の教え子であることを紹介されました。

今日の中日新聞に来年1月18日に開かれる「歌会始」の記事が掲載されていました。小島ゆかりさんが召人を務めるそうです。
召人を務めることは、名誉なことなんでしょうね。
白いブランコさん、アミーチさん、光龍氏さん 何かコメントありますか。


返信: 中日歌壇で最優秀 - 光龍氏 2022/12/26(Mon) 22:26 No.30592
ファーマーさん

「中日歌壇」の撰者小島ゆかりさんが歌会始の召人を務めなさるとは、素晴らしいニュースですね。アミーチさんも名誉。

そこで、「宮中歌会始」の歴史をnetでしらべました。

“起源は必ずしも明らかではないが、鎌倉中期には、『外記日記』に亀山天皇期の文永4年(1267年)1月15日に宮中で「内裏御会始」という歌会が行われたと記録されている。ただし、当時は「作文始・御遊始(管弦)」と合わせた一連の行事として捉えられて「歌御会始」と呼ばれており、1日のうちに3つを行うのが通例と考えられていた。

近代においては、明治2(1869)年に京都御所の小御所で行われたのが最初であった。明治7(1874)年には一般国民からの詠進も広く認められるようになり、明治12年からは詠進歌も詠みあげられるようになった。さらに明治15年以降は、天皇の御製や一般の詠進歌が新聞や官報などで発表されるようになった。詠進歌の選考は宮内省に置かれた御歌所が行なった。

歌御会始の題(指定されるテーマ)は勅題(ちょくだい)といわれる。昭和3(1928)年には、歌会始の式次第が定められ、それまで「歌御会始」だったのが、「歌会始」に改称される。

昭和22(1947)年より、現在のように皇族のみならず国民からも和歌を募集し、在野の著名な歌人(選者)に委嘱して選歌の選考がなされるようになった。それにともない、勅題はお題(おだい)といわれるようになり、平易なものになった。これにより、上流社会の行事から一般の国民が参加できる文化行事へと変化を遂げた。”ということです。

お題「友」でどんな歌が入選するか楽しみです。


返信: 中日歌壇で最優秀 - ファーマー 2022/12/27(Tue) 05:46 No.30593
光龍氏さん

「宮中歌会始」の歴史を紹介していただき、ありがとうございました。

新聞記事の紹介が不十分であったと反省しております。
入選作(10作品)は決まっており、最年少の方は中学2年生とのことです。 やはり、女性の方が多いですね。


返信: 中日歌壇で最優秀 - ファーマー 2022/12/27(Tue) 05:59 No.30594
島田修三さん

中日歌壇選者の島田修三さんは、現役の学長(愛知淑徳大学)さんですね。

光龍氏さんより、一回り若い方ですが、名古屋の大学でずっと勤務されている方ですから、光龍氏さんは、ひょっとして、島田さんのことをご存知ではないですか。

歌人というと、なんとなくその道のプロで世間的な世渡りの術には疎い方を連想しますが、歌詠みとしても一流そして、現役の学長も務まる方とは凄いですね。

脱線しますが、働き盛りでお亡くなりなった堀内俊和さんが、もしご存命でしたら、どんな地位についておられたのでしょうか。(光龍氏さんのご見解は???)


返信: 中日歌壇で最優秀 - 光龍氏 2022/12/27(Tue) 20:39 No.30595
ファーマーさん

小生ずうっと中日と朝日の二紙を購読していたのですが、定年を機に朝日だけにしました。ですから中日歌壇の情報をいただけることに感謝を致しております。

島田修三さん(早稲田大卒)ですが、実は椙山女学園大学文学部の非常勤講師として、平成の初めに数年間「和歌文学」をご担当いただきました。(学内で要職に就かれたため来て頂けなくなりましたが)。ですからお話したこともあり、堀内さんの葬儀でもご一緒しました。

さて、堀内俊和さんですが、60歳になってから学生部長という超多忙な激職を仰せつかり、体力が続かず過労死なさったのだと推測しております。(小生は、47〜50歳でしたので何とか頑張れました。でも住職との両立はできませんでした。)
彼は、学生時代から教授に認められた秀才で、愛知淑徳大学へも名大時代の恩師(定年後淑徳に)に引っ張られたのです。 学生部長の任期を勤め終えられたら、定年が70歳ですから、暫くすれば少なくも学部長、ひょっとしたら学長になられたかも知れませんね。亡くなられたこと返す返す残念でなりません。


返信: 中日歌壇で最優秀 - ファーマー 2022/12/28(Wed) 06:04 No.30596
光龍氏さん

やはり、光龍氏さんは島田修三さんとご縁があったのですね。

ひょっとして、小島ゆかりさんもご存知ですか。
ネットで調べたら、なんと小島ゆかりさんは、紫綬褒章も受賞されているのですね。
中日新聞の他、多くの新聞でも短歌の選者をされているとのことです。


堀内俊和さんのこと、いろいろ教えていただき、ありがとうございました。
彼がお亡くなりになった直後に大学の関係者が当地(長沢下地区)へ来て、「堀内俊和さんのお宅はどこですか?」と聞かれたことを思い出しました。 その時は、何故かなと思いましたが、彼がお亡くなりになったのを知ったのは、その大分後でした。


返信: 中日歌壇で最優秀 - アミーチ&のんのん魔女 2022/12/28(Wed) 12:05 No.30598
小島ゆかりさんの「歌会始め」の召人のニュースに、目頭が熱くなりました。早稲田大学文学部時代から短歌の道へ入り、卒業後は2年間アメリカへ留学し、青山学院女子短期大学講師もさていました。お嬢さま中のお嬢様で、才媛中の才媛でした。

大学入学の頃、家族で東京へ転居されたので、その後疎遠になりましたが、近年お目にかかれたのは・・彼女が蒲郡へ講演に見えたときでした。
控え室で対面できました。幼稚園時代のことも私の名前も憶えていてくださり、成長されたゆかりさんの眩いばかりの美しさでそた。

お母様も歌人で(小島静子 コスモス短歌会)かつて本を出版され(「擦過音」)送っていただきました。その中に「嫁ぐ娘に」がありご紹介いたします。

*嫁ぐ娘に母は賜ひぬ巻紙の手紙を添えし一対の数珠

*娘が欲すれば譲ると磨く針箱に桑の木目の冴えざえとたつ

*その額に戯れのごと唇づけて明日嫁ぐ娘に別れせりけり

*胸も背も白く塗られてま乙女の娘が花嫁となりゆくあはれ

写真・抒情文芸2007・お若い時の小島ゆかりさん。現在はファーマーさんのお写真です)尚、現在活躍中の歌人・小島なおさんは、ゆかりさんの娘さんです)


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