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梅開花 投稿者:ファーマー 投稿日:2023/02/02(Thu) 16:35 No.30717
梅の花が開花

寒い日が続いていますが、梅が開花を始めました。

春が近づいて来ています!!!


小生、梅を鑑賞用に十六本植えています。(時に梅の実を食用に使いますが・・・)

梅の次は、ユキヤナギ、そして、コヒガンザクラが開花します。
コヒガンザクラの満開は3月25日頃です。

これから、日に日に花が咲いていきますので、この景色を眺めるのは楽しみです。

みなさんの周辺の花は、どんな状況でしょうか。

添付:30717.jpg (117KB)
返信: 梅開花 - みやこわすれ 2023/02/03(Fri) 15:36 No.30718 ホームページ
皆さん、今日は節分。

私事、法堂にて例年の如く、一升マスへ豆等を入れ献供し

福は内、鬼は外はやめました・・・。福はお入り下さい、鬼は
外へお出ましを・・・・「笑」笑う門には福来る。

近年は、窓を開け廊下に・・・です。

問いかけの梅の花「添付」まだ、十三、七つで、まだつぼみで

す。庫裡裏の白梅は、やや咲きつつありす。

「寒風は 遠きにありて 紅梅花」 咲き誇るには、まだまだ

ですね 本題からはちょっとそれますが、古い絵葉書ムービーを添付しました。 再見


返信: 梅開花 - ファーマー 2023/02/03(Fri) 16:47 No.30719
みやこわすれさん

お寺では、毎年、豆まきをするのでしょうか。
我が家でも、昔(小生が子供の頃)は節分には豆まきをしましたが、今は豆まきはしません。「恵方巻」を食べまが・・・。

旦那寺(立信寺)では、最近は豆まきを毎年行っています。

お寺と節分は、何か関係があるのでしょうか???


白梅も咲き始めました。


返信: 梅開花 - 光龍氏 2023/02/03(Fri) 20:57 No.30720
ファーマーさん

今日は節分ですね。夕方、仏壇に升に入れた豆を供え、心経を誦し、豆まきをしました。立信寺時代からの習慣です。恵方巻きはこの頃です。

さて、「お寺と節分との関係」ですが、小生は習慣に従っていただけですので、調べてみました。

【節分に豆をまく理由とは】
立春の前日・節分(2月3日)には、「鬼は外、福は内」と豆(煎る
った大豆)をまいて、邪気を祓った後に、年齢の数だけ豆を食べて、春夏秋冬1年間の幸せを祈ると言われています。
これは、米と同じエネルギー源で霊力を持つとされる豆をまくことで、季節の変わり目に起こりがちな病気や災害を鬼に見立て、それを追い払い、更にその豆を食べることで力をいただけると考えられたからです。
この考え方が中国の古い鬼追いの行事「追儺(ついな)」と合わさり、広まったとされています。
 
【節分行事と仏教】
さて、そして日本の仏教は、奈良時代や平安時代において朝廷との結び付きが強く、鎮護国家のための宗教として扱われたこともあり、新年を迎えるに当たって行われる「修正会(しゅしょうえ)」や「修二会(しゅにえ)」という法要において、国家の安寧や繁栄を願うという意味合いもあったことから、いつしか「追儺」という宮中における行事と混淆されていったものと考えられます。また、密教美術にしばしば見られる悪鬼の存在が、「鬼」という存在により具体性を持たせていったということも考えられそうです。(真言宗・天台宗→浄土宗→禅宗へとひろがったのでは? なお、浄土真宗の寺院では、基本的には節分の豆まきをしません。)

このように、仏教と節分の行事は本来関係ないものなのかもしれません。しかし、「鬼」と呼ばれる存在は、実は自分の外にあるものではなく、自分の心に潜む、何でも自分の思い通りにせずにはおれないという心=「煩悩」なのではないでしょうか。節分をただ単に「除災招福」の行事としてしまうのではなく、自分自身の抱える「煩悩」と向き合うための一つの契機とするならば、「節分」という行事にも、仏教的な意義を見出すことはできるのではないかな、と思います。

成田山新勝寺 の「節分会・豆まき」、京都市廬山寺の「鬼法楽」がマスコミでよく紹介されますね。


返信: 梅開花 - ゆり 2023/02/04(Sat) 10:49 No.30721
ファーマーさん
 梅の花の便り ありがとうございました。
やっと 寒さも和らぎ 花の季節がまいります。
今年は 寒波が酷く お部屋から出れなく じっとしておりました。 12月の末に 雪が積もりましたが 1月に入ってからは
寒さが厳しかったですが、積雪はありませんでした。 −5度まで下がりましたが 海流のせいで なかなか 積もりません。
まだ白梅は咲きませんが 老木ですので 今年は 見れないかもと おもいます。 梅の樹は数本ありますが・・・・・。
今日は 庭師さんが 殺虫剤を散布に来てくれることになっております。


返信: 梅開花 - ファーマー 2023/02/04(Sat) 11:20 No.30722
光龍氏さん

「鬼」の解釈・・・『「鬼」と呼ばれる存在は、実は自分の外にあるものではなく、自分の心に潜む、何でも自分の思い通りにせずにはおれないという心=「煩悩」なのではないでしょうか。』

この新説、とても新鮮に感じるとともに、自分自身への戒めにしたいと思います。ありがとうございました。

ゆりさん

壱岐でー5度 ちょっと信じられない気持ちです。海に囲まれていても、寒い日があるのですね。

梅で思い起こすのは この菅原道真の和歌です。

   東風(こち)吹かば  にほひをこせよ  梅の花
     主(あるじ)なしとて  春を忘るな

歌のことは、よくわかりませんが、いい歌だと思います。
(光龍氏さんのご解釈は・・・)


返信: 梅開花 - 光龍氏 2023/02/04(Sat) 18:16 No.30723
ファーマーさん

この歌は、『拾遺和歌集』(3番目の勅撰集)〔巻16・雑春・1006番〕に載るのが初出です。

   ながされ侍りける時、家の花を見侍りて  贈太政大臣
こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな (「新編国歌大観」による) 
とあります。

〔口語訳〕:わが家の梅の花よ。東風が吹いたら、私のいる大宰府まで匂いを届けておくれ。主人がいないからと言って、春を忘れてはならないよ。
〔語釈〕「東風(こち)=東から吹く風、春の到来を告げるという。
    「おこす(遣す)」=こちらへ送ってくる、よこす。

*この歌は、菅原道真が無実の罪を着せられて太宰府へ左遷され都を離れる際に、大事にしていた梅の木を前にして語り掛けるように詠んだ作品です。(天満宮にはどこも梅が植えてありますよね)

*菅原道真は、政治家というより学者の身分(儒家の統領・文章博士)でありながら、宇多天皇、醍醐天皇の信任を得て、右大臣にまで昇り詰めた(899年・45歳)のですが、これをよく思っていなかった、左大臣藤原時平をはじめとするアンチ道真派の策略により、901年1月25日、菅原道真は太宰府へと左遷されることとなりました。このとき、天皇は宇多天皇からその息子の醍醐天皇へと譲位されています。醍醐天皇の治世でも出世を続けた菅原道真でしたが、宇多天皇の退位により最大の後ろ盾を失ったことが、左遷を防げえなかった大きな理由であったと思われます。
左遷から2年後の延喜3(903)年2月25日に大宰府で薨去し、安楽寺に葬られた。906年冬、道真の嫡子高視は赦免され、大学頭に復帰している。908年に藤原菅根が病死し、翌年には藤原時平が39歳で病死した。これらは後に道真の怨霊によるものだとされた。
延喜23年には醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王が薨御した。『日本紀略』はこれを道真の恨みがなしたものだとしている。同年、道真は従二位大宰員外帥から右大臣に復され、正二位を贈られた(名誉回復)。また、930年朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元(947)年に「北野天満宮」において神として祀られるようになった。また、一条天皇の時代には道真の神格化が更に進み、993年には「贈正一位太政大臣」が贈られました。→『拾遺和歌集』(一条天皇勅撰)での作者名に使用。

*なお、『大鏡』には第5句が「春な忘れそ」とありますが後人の改変でしょう。(「な〜そ」は懇願の意)
*写真は、「太宰府天満宮 ご神木の「飛梅」が開花。2023年1月24日 4時04分」(netより)


返信: 梅開花 - アミーチ&のんのん魔女 2023/02/05(Sun) 16:57 No.30725
「寒あやめ」
大変寒い日が続き、身体が冬ごもりになってしまいました。昨年除草の面倒をみなかったので「寒あやめ」が一株になってしまいました。一花でも咲いてほしいと、毎日祈っていました。

何と一昨日に花が咲きました。嬉しくて「寒いのによく咲いたね」と声をかけ愛でました。
夏に咲く「あやめや花菖蒲」のような勢いはありませんが、この寒に咲くという健気さに感動します。梅の花の根元にでもご一緒させてください。

    よくぞ咲き(寒あやめ)薄むらさきに早春賦


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