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西部中学出身者 投稿者:ファーマー 投稿日:2023/02/24(Fri) 06:56 No.30779
西部中学出身者のみなさん

この写真は、2012年に開催された「こうてん忘年会」の五組のみなさんです。

アミーチさんと白いブランコさんの姿が写っていますね。


2023.2.24 追記

アミーチさん  たいへん失礼しました。 ご無礼をお許し下さい。

添付:30779.jpg (209KB)
返信: 西部中学出身者 - アミーチ&のんのん魔女 2023/02/24(Fri) 10:58 No.30780
ファーマーさん

ご質問にお応えします。
「こうてん忘年会」の参加は自由と思いますが・・。欠席の事情まで申せというのは、個人情報に立ち入り過ぎだと思います。

人に言いたくない事情は、誰でも有るとおもいます。少し私がデリケートなのかも知れませんが、今後もこの気持ちは変わりません。ご容赦下さい。


この花は、作家・堀辰雄がこよなく愛した「ゆうすげ」の花です。鉢一杯に増えたので、根分けしました。5月の開花が待れます。軽井沢の堀辰雄の別荘(記念館)に展示されていた「ゆうすげ」の写真は、野生的(野草)でしたが、園芸店では観賞用に仕立てられていると思います。


返信: 西部中学出身者 - 天空快女 2023/02/25(Sat) 08:48 No.30781
魔女さん、作家・堀辰雄がこよなく愛した「ゆうすげ」の花と教えてくださったのは、魔女さんの文学仲間Nさんだったと思います。私は、魔女さんの文学仲間に誘われ、軽井沢散策をしたことが思い出されました。
 その時、堀辰雄の軽井沢の別荘も寄っています。
別荘の入り口の階段に二人で腰かけた写真も思い出しました。

代表作<風立ちぬ>結核を患った彼女、そして、辰雄自身も結核で、48歳で逝きました。私共、軽井沢の山の中、いろいろ別荘を探し回った記憶が蘇ってきました。

やはり、元気に動ける内が華です。楽しかった思い出です。


返信: 西部中学出身者 - 光龍氏 2023/02/25(Sat) 12:50 No.30782 ホームページ
魔女さん 天空さん

“「ゆうすげ(夕菅」は「ノカンゾウ」の一種”、と辞書にあります。「萱草(かんぞう)」といえば、立原道造の詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』(昭和12年刊)を思い浮かべます。(「わすれぐさ」は「カンゾウ」の別称)。

道造は、堀辰雄や室生犀星らと軽井沢の信濃追分で親しく暮らした時期があります。その頃に知り合ったのが関鮎子さんだそうです。

“昭和9年夏、約1カ月にわたって、信濃追分で初めての村ぐらしを体験した道造。滞在中に20歳を迎えた帝大生である。当時18歳だったとされる鮎子は、追分の本陣「永楽屋」の孫娘で、千葉市で弁護士を開業していた関一二の娘。親のふるさとの追分に、遊びに来ていた。
道造をに追分に招いた近藤武夫の身の回りの世話を彼女がしていたのがきっかけで、親しくなったようだ。道造は鮎子を連れ立って、村外れの「岐れ道」や遊女の墓などをしばしば散策している。”

道造の詩の「ゆふすげびと」は鮎子さんを指すと言われております。

  ゆふすげびと   立原道造
    
かなしみではなかつた日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた
それはひとつの花の名であつた
それは黄いろの淡いあはい花だつた

僕はなんにも知つてはゐなかつた
なにかを知りたく うつとりしてゐた
そしてときどき思ふのだが 一體なにを
だれを待つてゐるのだらうかと

(第三・四連は省略→続きはお家マーク。なお鮎子さんは、道造がぐずぐずしているうちに他の方と結婚されました。)


返信: 西部中学出身者 - アミーチ&のんのん魔女 2023/02/25(Sat) 18:39 No.30783
光龍氏さん

立原道造について、ありがとうございました。
私の親友に、立原道造の大ファンがいて、刺激されて詩集を買い詠んだことがあります。先程「ゆふすげ」のことがないかと、さがしました。「村ぐらし」の中にありました。

あの人は日が暮れると黄いろな帯をしめ
村外れの追分け道で、村は落葉松の林に消え
あの人はそのまゝ黄いろなゆうすげの花となり
夏は過ぎ・・・・・(前後略)

それにしても立原道造は肺結核で、享年24歳という短い生涯でしたね。詩集の末尾にこんなことが書かれていました。
「道造は死の直前に病床で「中原中也賞」を受けたが、その推薦の言葉に堀辰雄は
「自分のやさしい夢に生き、それをどこまでも生かそうとする彼の強い意志ぐらゐ、けふの若い詩人の間に讃められてよいものはない」と

この「ゆうすげ」のほうが、ゆうすげらしいですね。


返信: 西部中学出身者 - 光龍氏 2023/02/26(Sun) 12:41 No.30784
魔女さんご紹介の「村ぐらし」(昭和9年)の詩文中に、「あの人はそのまま黄色なゆふすげの花となり」とある「あの人」は、「ゆふすげの花」になぞらえられております。そののち昭和11年には、「ゆふすげびと」と呼ばれるのです。そして第四連に、「あなたを悔いなく去らせたほどに!」とあることから、他の方と結婚する「ゆふすげびと」を許したけれど、静かな未練の情を抱いていることが分かります。

この女性・鮎子さんについて、室生犀星の文章を紹介します。

“「追分村の旧家に一人の娘がいて、立原はこの娘さんを愛するようになっていた。(略)
 私はその娘さんを一度も見たことはないが、一緒に散歩くらいはしていたものらしく、その途上にあった雑草とか野の小径や、林の上に顔を出している浅間山なぞが、娘さんのからだのほとぼりを取り入れて、匂って来るような彼の詩がいたるところにあった。娘さんとの交際は一、二年くらいの短さで終り、東京の人と結婚したらしい、いわば失恋という一等美しい、捜せばどこにでもあってしかもどこにもないこの愛情風景が、温和(おとな)しい立原に物の見方を教えてくれただろうし、心につながる追分村が、ただの村ざとでなくなっていたのであろう。”(『我が愛する詩人の伝記』、「立原道造」の項の初出「婦人公論」昭和33年8月号)。

*写真は、作家・詩人で室生犀星の研究者でもあった葉山修平氏編著の解説書。


返信: 西部中学出身者 - アミーチ&のんのん魔女 2023/02/26(Sun) 19:14 No.30785
龍氏さん
室生犀星の御紹介も合われて感謝いたします。

室生犀星は好きな詩人で、「ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたうもの・・・・」高1の授業で徳島先生が訳してくれた時、詩のよさはさることながら、先生の情熱がビンビン伝わり感動しました。
後半の「ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて」ここの解釈に力をいれられ、忘れられません。

金沢の室生犀星の文学館へ行きましたが、改築中で見学はすこしでしたが、その後軽井沢の室生犀星記念館へ立ち寄りました。

犀星は悲しい幼少年時代を過ごした成育歴にもめげず、文学への憧れを貫き通した方だと思いました。文学を志す若き詩人や、友人や多くの人の面倒を惜しまず・・その人間性に感心しました。

私達にも多くの詩を残してくれました。閑を見て読み直したいと、思っています。
*「現代名詩選(上中下)伊藤信吉編
*「詩のふるさと 伊藤信吉著 
何れも文庫本で内容が浅く、ご紹介の本はさすが専門的ですね。またお教えください。

写真は「室生犀星記念館」軽井沢で(2014・10)


返信: 軽井沢文学散策 - 天空快女 2023/02/27(Mon) 09:14 No.30787
魔女さんの文学女性の仲間に入れていただき、2014年に軽井沢散策は大変、良い思い出になりました。

堀辰雄がこよなく愛した「ゆうすげ」の花から、軽井沢で、魔女さんの友達,Nさんが、立原道造の詩の事を話された記憶がしっかり残っています。魔女さんはその後、その立原道造の詩集を求められたとか、その辺が全く私とは違うところではありますが、でも、思い出の隅に残っているとは、やはり、軽井沢の旅は非常に印象深かったのでしょう・・・!。当時の写真を魔女さんが送って下さいました。

 又、このメンバーで、水上勉の福井の若州一滴文庫を訪ねた事が思い出されました。水上勉氏が故郷に設けた文学館。水上氏の蔵書を収めた図書室、書画展示室等、竹人形文楽が上演され 、これもまた、今も残像として残っています。


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