内味噌づくり 投稿者:ファーマー 投稿日:2024/02/13(Tue) 05:30 No.32047 今年も内味噌をつくりました。 毎年、2月の上旬に「内味噌」をつくっています。 今年は、一昨日、昨日の2日で、「内味噌」22kgをつくりました。 小生の担当は、重いものを運ぼ事とつぶした大豆と米こうじ、豆こうじ、お塩を混ぜる役割です。 一度に混ぜるのは大変ですから、2回に分けて作業をします。 容器に入れて、1年寝かしますと、美味しい味噌が完成します。 みなさんは、「お味噌」はどうされていますか。(簡単ですから既製品を購入かな・・・) 添付:32047.jpg (309KB) 返信: 内味噌づくり - 光龍氏 2024/02/14(Wed) 15:40 No.32051
ファーマーさん 今年も内味噌作りをなさったのですか、22kgも! 私たちが子供の頃には、長沢の農家の何軒もが家庭内味噌作りをなさってました。同級生の伊与田浩君ちでも。しかし今は少なくなったでしょうね。 ご夫妻で「役割分担」して……すばらしいご家庭ですね。 “みなさんは、「お味噌」はどうされていますか。(簡単ですから既製品を購入かな・・・)” 拙宅では今も「イチビキ味噌」です。御油町の工場(現第一工場)で製造されたものを子供の頃から食べ続けております。 愛知県には、八丁味噌・マルサン・キッコーナなど沢山の味噌製造会社がありますが、やはり故郷の味には代えられません。そう言えば、大津屋創業家中村社長のお嬢さんがKO9にいらっしゃったとうっすら記憶していますが。 返信: 内味噌づくり - ファーマー 2024/02/15(Thu) 06:59 No.32052 光龍氏さん 貴兄は、昔のことを本当によく覚えていますね。感心します。 小生は、今朝のことでも、昼過ぎには忘れてしまうくらい「物忘れ」が酷く困っています。 ネットで確認しましたが、「イチビキ味噌」の社長は、現在でも中村さんですね。(何代目か知りませんが・・・) 国府高校の同窓会名簿でご指摘の中村さんを探してみました。 京都に「中村則子さん」という方がみえますね。 この方が、光龍氏さんの言われる方でしょうか??? 返信: 内味噌づくり - リボン 2024/02/15(Thu) 21:25 No.32053 ファーマーさん 内味噌を造られる奥様は感心ですね 私も子供がいるときに作りましたがもう卒業してしまいました 光龍氏さんと同じお味噌を頂いています 「イチビキ味噌」は中村さん、長男は7年生まれ?9年生まれのお嬢様は主人と松葉小豊城中と同級生、時習館高へ一緒に進学しましたが主人は途中父と叔父が商業高などの理由で転校、イチビキのお嬢様は金城へと進学しました 戦災で松葉小が焼けたときにその縁でイチビキ工場を借りて授業をしたそうです 敗戦で兵舎が空き豊城中学はそこへ入り愛大の所から机を二人掛かりで持ち運んだそうです(今では大変な事ですね) その下のお嬢さんは国府高校へ入られたんですね 主人の話も昔話、窓にはガラスが無くむしろが掛けてあったそうで、豊城中の隣には桜丘高校がしばらくあったそうです 返信: 内味噌づくり - 光龍氏 2024/02/16(Fri) 16:35 No.32054 リボンさん 豊橋にもイチビキの工場があったのですね。netで歴史を検索しました。(お家マーク) 安永元年(1772年) 醸造株をもとに愛知県豊橋市でみそ・たまりしょうゆの醸造業を始める 明治33年(1900年) 中村兄弟商会の名前でみそ・たまりしょうゆの製造、販売を行う 明治44年(1911年) 愛知県豊川市御油町に工場を建設(現第1工場)。日本最大級のみそ仕込桶「丈三桶」完成 大正3年(1914年) 味噌溜醤油製麹法の特許を取得。愛知県東海市高横須賀町に工場を建設(現第2工場) 大正8年(1919年) 大津屋株式会社を設立。豊橋市花田町に工場を建設(現第3工場) 中略 昭和36年(1961年) 大津屋株式会社からイチビキ株式会社に社名変更。商標を赤イチビキに統一し、黒イチビキを廃止 昭和38年(1963年) 名古屋市熱田区に本社新社屋を新設し移転。しょうゆJAS認定工場となる 以下略 *則子さんは御油にお住まいだったのでしょう。当時は小学区制でしたから。 |