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フランス研究会 フランス紀行
平田邦夫
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2007.9.19〜28 フランス研究の旅に、当初6人で計画していたが、都合により5名で出発することになった。他に安城在住の定年記念旅行のご夫妻と計7名の贅沢な旅となる。
19日 セントレアよりフランスはパリへ、乗り継ぎ後ニースのコートダジュール空港へ。カンヌ泊。
翌日コートダジュール海岸を東に向かいモナコ公国へ→ニースへ戻り、南フランス地中海海岸を西に世界遺産巡り、大西洋岸へ、ボルドー→ノルマンジー(モン・サン・ミッシェル)→パリ→セントレアの10日間の旅をした。

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○ フランス共和国
フランスは紀元前1C頃ローマ帝国の支配下にあり、華々しく世界史上に登場するのはルイ11世が国土を統一、17Cルイ14世(太陽王)が絶対王政を確立、黄金時代に、1789年世界史的出来事フランス革命→ナポレオン帝政→ナポレオン3世を経て・・・1958年より第5共和制が誕生、今日に至る。
経済―西ヨーロッパ最大の農業国、緩やかな凹凸の平地が広がる。肥沃な平野に穀物(小麦)・ぶどう酒(ワイン)牛乳など、EC諸国に輸出。工業は航空機・原子力など、また「芸術の都」パリを中心に観光産業が発達。

(写真:ロワール地方北部の車窓。フランスは何処もこんな平地風景と農地が多い/編集子)

コートダジュール(紺碧海岸) モナコ公国〜リヨン湾にかけて続く地中海に面した海岸。
空の色(紺碧)を写し、海もどこまでも美しい青

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モナコ公国 コートダジュール地方の小国であるが、気候温暖,風光明媚な世界的保養地。 カジノ,モンテカルロラリー,グレース王妃で有名。観光と金融、所得税はなく、法人税も低く抑えられている。

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ニース まさに紺碧海岸の中心地、観光名所らしく整備され美しい町並み、近郊にシャガール美術館、運ぶことのできないステンドグラスとモザイクを鑑賞することができる。ステンドグラスのある部屋は、青を基調とした優しい光に包まれて、絵画には無いシャガールの世界に引き込まれます。ニースの海岸では日光浴をするトップレスの女性が読書などを楽しむ姿が見られる。

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カンヌ フランス南東部の、地中海に面する都市の一つ。 毎年5月のカンヌ国際映画祭の開催地として、世界的に有名である。 .北野武が歩いたレッドカーペット階段(カーペットは引いてないが)を歩く。

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サント・ヴィクトワール山 カンヌからアルルへ向かうバスの車窓から見える石灰岩の山、いろいろな角度から目を楽しませてくれる。この山をセザンヌはこよなく愛し、80枚ほどの作品を残していると言われる。
 このプロバンス地方は石灰岩の地形が広がり、この地から少し離れたところであるが、鍾乳洞の洞窟(ラスコーの洞窟・マサビエル洞窟)などが見られる 。石灰岩地域には森林は見られず、住宅財の木材確保は難しく、この石灰岩が使われる。  *石の文化―使いやすい木材がないので―

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○ アルル 南フランス プロバンス地方の中心 ローマ時代の遺跡 円形闘技場、ビゼーの「アルルの女」の地に到着、ゴッホが35歳から1年3ヶ月滞在したところ、「跳ね橋」の地、ゴッホが描いた「庭園」など見学。

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円形闘技場. (アンフィテアトルム)ローマ時代(推定紀元1世紀頃建造)の遺跡で世界遺産。 長径136m・短径107mでフランス最大の闘技場。 入り口の上にある塔からは円形闘技場の全体はもちろん、素晴らしいアルルの町を眺めることもできる。

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アヴニヨン サン・ベネゼ橋 プロバンス地方ローヌ川に架かる橋、途中で切れている。 1226年破壊 その後何度も修復をはかるが、度重なる洪水などで失敗、その東側はアヴニヨンの中心街。 童謡「アヴニヨンの橋で」の舞台。
アヴィニョン歴史地区:ローマ法王庁宮殿、司教関連建造物群がかつてのローマの繁栄が偲ばれる。

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ポン・デュ・ガール水道橋 (ガール川) 古代ローマ時代につくられた水道橋、ユゼス→ニームの街まで(高さ49 m,長さ275km )3段のアーチ、古代ロー時代の土木技術の高さがうかがわれる。1段目が道路

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モンペリエ 南フランス・ラングドック地方の都市モンペリエ、学園都市として地味な街で観光都市ではない 街に広場が美しく印象に残った。

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カルカッソンヌ 中世の城塞都市、ピレネー山脈の麓都市、交通の要衝、西ゴート人やイスラムの攻撃を受け、高さ15 m, 周囲3km, この地域の住民は城塞内で生活、周辺に農地が広がる。
 城内ではいろいろ工夫された防御装置がある。騎士の時代は通用したが、鉄砲・大砲の時代になるとその機能は失われる。今は観光資源としての役割を持つ。

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ミディ運河 トウルーズから地中海までの運河(240km)、高低差があり閘門式(水門で水位調節)運河、南部穀倉地帯を貫く運河、現在は観光資源, *トウルーズ(南西部の中心都市で航空機産業など発達)からガロンヌ川を利用しボルドーを経て大西洋岸へ

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サンテミリオン ローマ時代よりワイン生産、中世の町並みが残る街、ワイン製造過程を見学、なだらかな丘陵地帯とガロンヌ川からあがる水蒸気が微妙にブドウの実に影響を与え美味しいワインを生産。小さなシャトー毎に異質のワインが楽しめる。ワイン祭は有名

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ボルドー 紀元前300年にケルト系ガリア人によって創設され、ブルティガラと呼ばれた。 .ボルドーは18世紀に西インド諸島との貿易で黄金時代を迎える。 1880年ごろから、ブドウのべと病を防ぐ、ボルドー液が使われ始めたと言われる。―フランス西海岸の都市は海岸線よりかなり内陸側にあるのは潮の干満差を避けるためである。

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ロワール ロワール川河口の都市、世界史では「ナントの勅令」などで知られる都市、北フランスでもっとも心地よい気候を意味する。田園風景や石灰岩の崖、童話の世界のような城の景観を楽しみながら次の目的地へ.

シュノンソー城 16世紀に、シェール川を跨ぐようにして建てられたシュノンソー城は フランスでは、ベルサイユ宮殿の次に観光客が多い城、すさまじい権力闘争のあともそこここに、 お城の入口上部に嵌め込まれた美しいステンドグラス. 回廊の外(左)と中(右)、城内はもとより外側から眺める景色も格別である。

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シャンボール城 古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を取り入れた、フレンチ・ルネサンス様式が特異な城である。レオナルドダヴィンチが構想図作成と言われる

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モン・サン・ミッシェル 世界遺産人気NO1 。モンは山・サンは聖・ミッシェルは大天使ミカエル、中世の修道院、コタンタン半島(ノルマンジー半島)とブルターニュー半島とに囲まれた地域、干満差が大きい。 ある時は監獄として、また城塞として使われた。
 修道院とは文字通り修行の場であるが印刷技術が発達していない時代では修道僧は聖書の勉強として模写をし、できあがった聖書は配下の寺院に配った。
 モンサンミッシェルの名物は大きなふわふわオムレツ。卵を泡立ててふわふわのまま、そっと焼いた感じ。このオムレツはその昔モンサンミッシェルへの巡礼者のために、プラールおばさんが作ったのが始まりだそうで、今もこのおばさんの看板のあるお店が有名です。

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*モン・サン・ミッシェルよりノルマンジー半島を望む。この半島の北側には第2次境大戦時。ドイツの裏をかいて連合軍(アイゼンハワー将軍率いるアメリカ軍)が奇襲上陸した地点(干満差が大きく一般に大軍の上陸は無理と言われている)、これを境に形勢逆転、ドイツ軍が後退、終戦に向かう。また南側にブルターニュゥ半島の付け根にはあるランスに干満差を利用した朝夕発電所がある。今回の旅では見学せず。 
このあと「花の都」パリへバスツアー

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パリ セーヌ地区 この地区はパリの中心部であり、この都市が辿ってきた歴史がよく現れている。 ポンヌフ橋 - パリのセーヌ川にかかる橋のなかで現存最古を誇る。 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた世界的文化遺産
 ナポレオン3世が命じてつくられた。世界初の都市再開発 河畔をシテ島ノートルダム大聖堂までまで散策

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オペラ座ガルニエ ナポレオン3世が命じ1875年完成、内部は豪華絢爛といわれる。

(写真:オペラ座のそばで「ドラゴンズ情報」を気にする我々/編集子注)

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○モンマルトルの丘 遠くから眺め 小高い丘の上にサクレ・クール聖堂がひときわ目を引く、画家の街 今回の旅では遠くから眺めた

凱旋門 シャンゼリゼ大通に聳え立つ、1806年ナポレオン1世が古代ローマの凱旋門を模し、造らせた。高さ50 m パリのシンボル。

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エッフェル塔 昼の形式はもちろん、夜景で見るこの塔もすばらしい。1889年パリ万博の目玉として登場、世界初のエレベーター登場、エッフェルより計画。

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ノートルダム(われらの貴婦人、つまり聖母マリアの意)大聖堂 12Cパリの街発祥の地シテ島に聳え立つ、フランス大聖堂の代表的姿

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ルーブル美術館 セーヌ右岸 ルネッサンス建築とバロック建築を併せ持つ宮殿→美術館、12Cフィリップ2世がイギリスの侵略の備えつくられた城塞、16世紀ルイ14世がつくったベルサイユ宮殿までは王の宮殿であった。1週間以上あっても見学しきれないほどの作品が展示、中でも「モナリザ」・「ミロのヴィーナス」は特筆

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オルセー美術館 かつてはオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテル、収蔵品は2月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品を展示している。19世紀の美術専門の美術館である。印象派の画家の作品が数多く収蔵展示、中でも有名なものはミレーの「落ち穂拾い」「晩鐘」ほかルノワール・ゴッホなどの作品多数

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セーヌ川ディナークルーズ 船から見る景色もすばらしいが、歌姫の歌うシャンソンは耳に心地よい、船内を回りながら歌う。まさにパリジェンヌ、 食事も美味しい 隣に座った女性(日本人)も美しかった。

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○ ベルサイユ宮殿 パリ郊外 パリから南西20kmほどのところある。 水の前庭からの宮殿 ... とにかく大きいベルサイユ宮殿。 3つの宮殿と庭園、大庭園とその他の建物からなるベルサイユの敷地、太陽王ルイ14世が造らせる。ブルボン王家の離宮。ルイ14世の宮廷 フランスの絶対主義王制を象徴する建造物、宮殿の威容はもとより、庭園の美しさは見事、究極の庭園と言われるのも納得、しかし当日は風が強く、しかも低温で見学も早々に退散 宮殿内見学中に何者かが爆弾を仕掛けたの報で、途中で館外に出される。

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○その他 
*ガイド このコースは初めてということで一生懸命勉強しながらのガイドをしてくれた。
西三河の出身で、いろいろ世間話をする中でガイド業も大変であることを知った。

*機内 JAL便でパリまで、ドゴール空港からはアリタリア航空、地方路線なのか、格段の差
 機内食も客室乗務員もラテン系美人の予想に反し、男性、しかもよく揺れる。日本の「もてなしの心」いくら説明しても外国人には決して解ってくれない日本独自の物でこの文化は今後も守り育てて行きたいものだ。
 余談ではあるが25年ほど前西ヨーロッパを訪れたことがある。当時はソ連の時代でシベリア開発が優先されていて上空を飛ぶことはできず、また燃料の関係もあって日本からはアラスカ アンカレッジへ飛び、北極点を通過し、パリへ飛んだ。今では最短距離であるシベリア上空を飛びモスクワ上空、欧州に入る。それがパリであったりフランクフルトであったり、技術革新は時間短縮などめざましい、それでもわれ庶民はエコノミークラスで行く関係上、エコノミー症候群に注意することが肝要、時々は座席から移動し、手足を伸ばす必要がある。さて、話を戻し、機内のこと 外の景色はすばらしい左手にはイタリアアルプスから続くジナルアルプス、明峰モンブランも、眼下にはローヌ川がゆったりと流れる。フランスの大平野が一望できる。

車内 総員7名で大型バスはいかにもゆったり、乗り降りや集合解散も楽々、これでは大赤字だそうだが、JTBのモデルコースとしてこれからの参考にと言うことで問題ではないとのこと

*食事 長いこと日本食から離れると恋しくなるものだ。パリではオペラ座近くの「うどん屋」へ
 旅慣れた小沢さんが連れて行ってくれ食した「天ぷらうどん」の味は忘れがたい。   おわり

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('07.10.05 初掲/'09.06.16 大改修)