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旅の参考書
世界遺産・石見銀山
ゆりさんの談話室投稿/2009年11月/より)
スライドショー:中画面(1024×768)
山陽自動車道より中国自動車道・浜田自動車道にて温泉津温泉(ゆのつ温泉)に1泊して、日本で14番目の世界遺産・石見銀山に行ってまいりました。
門司と下関の関門橋
行きはトンネルでまいり、帰りは橋を渡り、とても夜の明かりが、橋も両側の町の明かりも奇麗でした。
途中の紅葉
断魚渓(だんぎょけい)
ここは珍しい植物が多く、落葉樹の森と岩にはさまれ、急流の川が流れ、スバラシイ景観でした。
断魚渓
断魚渓の下にはこんな可愛い公園
小さいけれど優しい雰囲気の温泉津(ゆのつ)温泉町。大正時代の建物もあり、ちょとタイムスリップしたような。温泉の湯は、とても気持ちよく、泉薬湯と薬師湯の二つの元湯があるそうです。湯治場として人気の温泉、銀山の近くにはこのほか、三瓶温泉、有福温泉があり、銀山で働く人たちのためと出雲神社参拝の人たちの疲れを癒してくれたことでしょう。写真はこの湯の町を守っている龍御前神社。社の屋根の上の岩、龍の顔に見えませんか
観光案内所の駐車所に車を入れ、この橋の手前の路、銀の小路から出発です。10時半にボランティアがしておられる無料ガイドを予約しており、ご案内が楽しみでした。
石見銀山は1526年に九州・博多の商人が日本海の船から山を見て発見、1923年の休山までの約400年にわたって採掘されてきた世界有数の鉱山遺跡です。古都京都の人口が30万人の時、石見には20万の人がおり、その生活を支えるために色々なものが出来たそうです。小学校も日本最初にできている。17世紀のはじめには世界の産銀量の約3分の1が日本銀で占められたと考えられ、石見銀山で産出される銀は、高品位で信用が高く、海外にも多量に輸出され、アジア諸国とヨーロッパ諸国の交易で結ぶ原動力ななっていたみたいです。 2007年7月「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、アジアでは初の鉱山遺跡として、ユネスコの世界遺産に登録された。世界遺産は6年ごとに見直されているそうです。
歩けない人にはレンタルサイクルとかベロタクシーがあります。10時30分出発、戻りましたのが1時でした。
これがべロタクシーです。あくまでも自然に優しく。
石見銀山は 銀山だけでなく、町並みも含め世界遺産です。親子格子。
銀の小路にはこのような奇麗なところばかり。
シンリンヨクです〜
風の音 木々の音 水の音 ・・・・・・・。
途中でお会いした山吹城に登られる方達。
清水谷製錬所跡
モミジの向こうに間歩(まぶ)がみえます。間歩とは鉱山坑道のことで、各間歩には番号が記してありました。工夫の仕事は大変でしたが、子供達への配慮の手当、怪我をした時の保障などは、しっかりしておったそうです。工夫は早死にでした。5時間の仕事でお米三升とのこと。当時は工夫になりたい人で人手不足は無かったようで、子供たちまでもお手伝いし、手当てのお金をもらっていたそうです。
本当に、時間を忘れて自然の中を歩きました。
目的の龍源寺(りゅうげんじ)間歩の受付が見えました。
龍源寺、永久、大久保、新切(しんぎり)、新横相間(しんよこあいま)が代官所の直営で「五か山」と呼ばれていました。
龍源寺間歩の入り口。 蛇の寝床というシダの種類の雑草が群生しているところに鉱脈が多いとか言われました。
間歩の中、江戸時代からつづく。
平成への路・・・・・・出口。
このボランティアのガイドさんは 後ろ歩きをして観光客に話しかけ、説明をしていただきました。危ないようで心配しましたが顔を見て聞くと心がわかり、一生懸命にしてくださっておられることがわかりました。
観光案内所まで、奇麗な風景に見とれかえってまいりました。
石見銀山遺跡にユニークな雰囲気を作る石窟五百羅漢は1741年〜1743年に月海浄印というお方が発願されました。
昔銀山で働いて亡くなった人々の霊や祖先の霊を供養するためにと、地元の人々、大森代官所の役人、代官、八代将軍徳川吉宗の次男田安中納言、田安家の御殿女中の多くの寄進により1766年、25年もかけて完成されたそうです。
本殿
本殿内。
五百羅漢とはお釈迦様の五百人の弟子のこと。
反(そ)り橋と石窟。石窟の前を流れる銀山川の支流にかかる三つの反り橋は石を組み合わせて造ったもので当時のまま現在に至っています。
仁麻(にま)サンドミュージアム
世界一大きい1年砂時計があります。
一年の間砂を落とし、時を刻む砂時計
(ファーマーさん)
ゆりさん  「石見銀山」の紹介 ありがとうございます。世界遺産に登録されたことは、知っていましたが、他の知識は皆無です。(島根県に石見銀山があることも始めて知りました。)
小生のような素人は、地名他固有名詞が、殆ど読めません。できましたら、「ふりがな」をつけていただけると読みやすいのでが・・・。よろしくお願いします。
(ゆりさん)
三河の方は、なかなか山陰地方にはお出かけでないと思います。またまた談話室をながく使わせていただき申し訳ございませんでした。ありがとう御座いました。私は出雲大社の旧の神無月の全国の神様をお迎えする儀式にも真夜中に参加させていただき、友人と山陰方面は数回でかけております。
(ファーマーさん)
ゆりさん 「ふりがな」ありがとうございました。ネットの解説を付けました。
断魚渓(だんぎょけい)は、島根県邑南町(旧石見町)に位置する渓谷である。
江の川の支流、濁川上流約3.6kmに亘る渓流で、流紋岩を浸食して形成された。高低差は100mほどで、渓流の間には目立った滝はない。しかし、谷底に千畳敷と呼ばれる岩盤が露出している。その岩盤には自然の節理による水路、岩樋川が通る。断魚渓という名は、下流の神楽淵にある断魚の淵に因んでおり、鮎の遡上を遮ることから名付けられた。嫁ガ淵、通仙橋、千畳敷、神楽淵など24の景勝地があり、散策路が設けられている。1935年に国の名勝に指定されており、江川水系県立自然公園の指定区域である。
(ゆりさん)
ファーマーさん ありがとう御座いました。私はここによること知らず、友人が いつもの仲間で石見銀山に行くと誘われ、詳しいこと知らぬまま参りました。福岡に帰る時は、トンネルを抜けたので、知らぬ間に過ぎてしまいました。
(ファーマーさん)
ゆりさん  おせっかいをしてすみませんでした。
今回は「いつもの友人仲間」の旅でしたか。できたら、1枚、ゆりさんと仲間の皆さんが写っている写真を投稿いただけませんか。
(楓さん)
ゆりさん  世界遺産「石見銀山遺跡」に素晴らしい景観の断魚渓、龍源寺の間歩(鉱山坑道)など見新しい物ばかり。5846番(写真15枚目)を見ますと、鉱山で働く工夫さんは早死で、子供や家族のお手当てが1500年代に保障されていたとは可なり大変な作業だったのでしょうね。
ファ-マ-さんでは有りませんが 漢字の読みに首を傾げましたが、フリガナ付けて頂き有難う御座いました。三河からだと島根県は遠く 1泊2日位では 出雲大社には行けても 石見鉱山までは行けそうに無く写真案内ありがとう御座いました。
(白いブランコさん)
「鉱山遺跡」の紹介ありがとうございます。最近では、各観光地でボランティアガイドさんが大活躍ですね。
江戸時代から続く間歩、ベロタクシー、一年砂時計 と珍しい写真ありがとうございました。
グループは8名です、全員の写真はこの1枚だけ。私を含め龍年が3名おりましたので、龍御前神社前で写し、ご夫婦が1組、親子が1組で、一人、二人は違う人が入りますが、2年に1度このグループで1泊2日の旅をすることになり、明日は お疲れさま会をいたします。このグループでは3度目の旅でした。/:/龍源寺間歩の前で 私たちのガイドさんでなく 別のボランティアのガイドさんが、自分から写しましょうと言ってくださり、撮っていただいたものです。ガイドさんの気配りがわかる1枚です。あつかましく、ついでに、投稿させていただきます。
(ファーマーさん)
ゆりさん  ありがとうございました。一人旅、ご夫婦での旅、仲間での旅、いろいろな旅を楽しんでみえることがよくわかりました。
旅には、添乗員やガイドさんがつきものですが、気配りのできる方が案内してくれると、とても気持ちがいいですね。とくに、海外旅行のときは、添乗員の人柄が旅の楽しさに大きく影響しますね。
(フリージアさん)
「石見銀山」、素晴らしい景色の「断魚渓」など、有難うございます。
以前「銀山」へ行きましたが、それだけ(銀山だけ)でした。ゆりさんのご紹介で、この一帯の景観を含めて「世界遺産」となったのを知りました。
楓さんが言われますように、当時鉱山で働く工夫さん、大変過酷な労働だったと思われます。よい景観、一転してベロタクシーや一年砂時計は近代的な風景ですね。ありがとうございました。
('09.12.24 初掲)