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アメリカ雑感/「談話室」投稿より

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アメリカ西海岸・その1 投稿者:ゲンジボタル 投稿日:2006/12/08(Fri) 23:18 No.537

 1130日〜12月7日まで妻とアメリカを旅した。もちろん旅行会社が募集した(お値打ち)ツアーで合計21名。ご多分にもれず1組の新婚さんを除いて 爺さん婆さんばかりだった。今朝は久し振りに美味しいみそ汁を味わい「日本が1番いいなぁー」と実感。ホッとしながら後片付けやデジカメPの取り込み、そしてメールを読んだり、返事出したり。コウ10HPを見せてもらったりしているうちに、あっと言う間に1日が過ぎた。
ところで、先日はイタリア研修チームが素晴らしい感想記を読ましてくれた。とても真似はできないが、私も気が向いたら思い出したら、少しずつアメリカ雑感を、、、。
 生まれて初めてアメリカ本土に上陸?した。駆け足の8日間、象の足を触った程度でしょうが、とにかくアメリカは広くて大きい。自然がいっぱいだ。また強くて、自信満々に見えた。これからの雑感は、この目で見たものと、期間中3人の日本人男性・現地ガイド(いずれも30年以上在米、一人はアメリカ国籍、一人は子供がアメリカ国籍)や女性添乗員から仕入れたネタばかりです。時にはバスの運転手、お土産屋の店員さんと英単語を並べた程度の会話の中から取材したもので、今回ほど英語が話せたら、と悔しい思いをしたことがない。御津中秀才3羽ガラスが羨ましい。
 写真は最終日に撮ったラスベガスの夜。先ずはこの1枚をじっくりご覧下さい。華やかな表のアメリカの象徴か

  
  
返信: アメリカ西海岸・その1 - パレット 2006/12/09(Sat) 07:10 No.538
 ついにゲンジボタル アメりカの空を舞うってとこですか?さすが、蛍は闇夜は忘れない。アメリカ蛍を写してHPに載せてくる。ラスベカスの蛍は眠くならないらしい。キラキラと乱舞だ。アメリカの像の足触りでも、カバの足触りでも、感触、感動の話を読みたいね。
  
  
返信: アメリカ西海岸・その1 - 10 高田孝一 2006/12/09(Sat) 07:30 No.539
 ヨーデルさんの第九も凄い作品ですが、ゲンジボタルさんの作品も凄いですね。写真を見るだけで感動!!
話題は変りますが、12月5日に小生のすぐ近くの男性(66歳)が急逝しました。突然のことでとてもビックリすると同時に健康のありがたさを痛感しました。生きている今日を大事にしなければと考えています。
  
  
返信: アメリカ西海岸・その1 - アミーチ 2006/12/10(Sun) 10:28 No.540
 何、何??ゲンジボタルがアメリカの空を舞う?平安時代の源氏ボタルからすると、進化したとしかとしか言いようがない・・・じっくり見ても、何故か蛍の乱舞に見えてくるのは、真面目に蛍の飼育観察をされているゲンジボタル様に怒られてしまいますね。この光の下で、人種の坩堝(ルツボ)が今日もひしめき合っている。旅行者はいいところだけ見るのかもしれませんが、出来れば源氏様がビビッときた人間模様などのコラム付きだと嬉しいですね。ダイビングの次はアメリカの空、海の中から空まで飛ぶ・・タフな平成の源氏様お見事です!

アメリカ雑感・その2 投稿者:ひじかた 投稿日:2006/12/13(Wed) 10:23 No.550

 経験された方も多いと思いますが、テロ警戒のためアメリカへの入国審査は厳しい。靴と上着類を脱ぎ、爪切り、ハサミはもちろん髭剃りまで機内持ち込みはNO! 指紋・顔写真撮影に続き、10人に1人位は別室へ連れ込まれ、ボディーチェック。最近、化粧品類の液体は100cc以下の容器に透明のビニール袋へ入れて見える場所へ出しておけばOKとなった。スーツケースを開けられた痕跡(施錠はダメ)もあった。この様子を複雑な思いで眺めたが、それでも日本人観光客は審査時間が短い。

 このツアーは、サンフランシスコ→ヨセミテ国立公園→ロサンゼルス→モニュメントバレー→グランドキャニオン国立公園→ラスベガス を8日間で走り抜ける旅。初日は世界で1番美しい街に3回選ばれたという霧の街・坂の街として有名なサンフランシスコ市内観光。年間1400万人の観光客が日本から訪れ、これは世界1。デジカメは85%が日本製でこれも世界1。人口80万人のうちゲイが14万人、これも世界1。ホームレスは多く、市から3食+1カ月・410$の支援を受けている。

 自由時間に市内を横断するケーブルカー(市電)に往復5$で乗った。観光客と市民が半々。名古屋弁の我々に“日本人ですか”と(写真)左の青年に声をかけられた。友達のお父さんがアメリカで弁護士、ここを拠点に遊んでいます、と屈託ない。右の怖そうなガイジン連れ?に、写真撮りましょうか、話しかけると大喜びでポーズをとった。ちょっとした触れあいが旅を楽しくさせてくれる。
 最後のポイントは1937年に完成したというお馴染みのゴールデンゲートブリッジ(金門橋なのに赤い)、かつてあの堀江謙一がヨットでくぐった。その昔、ジョン万次郎や勝海舟がここに入ってきた。

  
  
返信: アメリカ雑感・その2 - 2006/12/13(Wed) 22:09 No.551
 赤色の金門橋の写真を この返信で その3を続いて見せて下さい。
  
  
返信: アメリカ雑感・その2 -  小澤  2006/12/14(Thu) 08:31 No.552
列車の向かい合わせ席個室(コンパートメント)は馬車から発展したものと聞きますが、この電車の座席の並び方は何でしょうね、面白いですね。
  
  
Golden Gate Bridge ひじかた - 2006/12/14(Thu) 17:48 No.553

 楓さんのリクエストに応えて載せましたが、満足できるポイントがなかった。飛行機から見たかった。観光だけでなく自殺の名所でもあるそうです。
  
  
金門橋写真 - 2006/12/14(Thu) 22:08 No.556
 リクエストに お答え頂き 有難う御座いました。赤色橋が ゴ−ルデンゲ-トブリッジ(金門橋)と、何故 命名されたのでしょうかね。1937年に こんなに立派な吊り橋が 建設されたとは 驚きですね。歴史に残る偉人さんらが 利用されたり くぐったり、実際に見られ、感慨無量ですね。自殺の名所とは あの海峡に 身投げですか。怖い・怖い・
  
  
返信: アメリカ雑感・その2 - ゆり 2006/12/15(Fri) 11:46 No.557
 暫く、留守を、しておりましたら、談話室が賑やかになっており、ビックリ、坂の街の市電、歴史の金門橋、不夜城のラスベガス、楽しいお写真有難うございました。これからも 海中の知らない素晴らしい世界、蛍の世界と、ともに色々 たのしませてください。
  
  
どなたか和訳して・・・ ひじかた - 2006/12/15(Fri) 21:30 No.558

 どうしてゴ−ルデンゲ−
トブリッジと命名されたかは知らないが、手前に目障りな英語の看板がありました。何となく雰囲気が伝わってきますが、どなたか和訳していただければありがたい。2枚のうちの1枚を添付しました。
  
  
返信: アメリカ雑感・その2 飛田一成 - 2006/12/20(Wed) 15:03 No.591
 ゴールデンゲートブリッジの看板の和訳は、こんな内容ではないでしょうか

広がる地平線(ゴールデンゲートブリッジを架ける)

ゴールデンゲートブリッジの地は移民者達の玄関口というだけでなく、この地域を旅行する者にとって旅行の妨げにもなっていた。1800年後期から1930年当時は、Marin国北部の町へはフェリーで行っていた。膨張する都市、超満員のフェリー、そうした中1916年早々、自動車を利用する市民によってサンフランシスコに橋を架ける事が提案された。

4年の工事のすえ、1937年ゴールデンゲートブリッジは完成した。これは当時の土木技術の最高傑作であり、また将来のサンフランシスコ湾地域の社会的、経済的発展のきっかけとなった。今日4000万の車両が毎年この橋を渡っている。
  
  
和訳、ありがとう ひじかた - 2006/12/20(Wed) 17:11 No.592

 ろくろく辞書も引かずに、伝わってきた雰囲気とは随分違っていました。このHPがなかったら英語の看板は私のPCホルダーに永久に眠り続けたであろうに。歴史が分かるとまた一味違った見方になってきます。本当にありがとうございました。
 失礼かとは思いますが、参考までにもう1枚添付させてもらいました。
  
  
返信: アメリカ雑感・その2 飛田一成 - 2006/12/22(Fri) 11:40 No.597
2枚の看板のもう1つを和訳しました。 (なるほど、名前の由来が解けました。編集子)
ゴールデンドリームの玄関(ゴールデンゲートへ入港)

「サンフランシスコ港は私が今までに見てきた素晴らしい海の中でもその一つに数えられる。それはケープホーンの北側から見た素晴らしさである。  また、飲料水の確保は容易にでき、豊富な燃料、道路に必要な砂利がそこにはある、とても素晴らしい港である。」1775年スペイン船サンカーロス号司令官、Juan Manuel de Ayala中尉

サンフランシスコ湾に住む原住民が最初に見たヨーロッパの船は1775年のサン・カーロスがゴールデンゲートに漂着した時だった。翌年、スペインは駐屯地をそこに設置、使節団を派遣して定住した。町は1849年のカリフォルニアゴールドラッシュで沸くまで、農業が主体であった。

サンフランシスコは一夜にしていろんな文化が入り混じった人たちのるつぼと化した。 ゴールドを求める採掘者、労働者、企業家などがアジア、南米、ヨーロッパ、そして東アメリカからこの雄大なゴールデンゲートを目指してやってきた。人々はゴールドを手に入れる絶好のチャンスの土地にやってきたと はしゃいだ。
 

アメリカ雑感・3 投稿者:ひじかた 投稿日:2006/12/15(Fri) 21:54 No.559

 かっちゃん(お名前も顔も分からないが)の三井寺、寂光院はいいですネ。私も大好きです。

teruyo
さんのご主人・岡田静雄さんの仮装行列、こんなのが出てくると高10HPの談話室らしくて、ホッとします。

 翌朝は暗いうちにサンフランシスコから世界遺産ヨセミテ国立公園へ。高速バスで延々続く農園を見ながら750kmを数時間吹っ飛ばした。こんなにも長い間、同じような光景を見せられたのは初めてだ。途中、1万基もの風力発電の風車に圧倒された。かなりの町がこの電力で賄っているという。このスケールの大きさと石油や原子力だけでなく、次世代の風力発電にも力を入れているアメリカを実感した。



  
  

返信: アメリカ雑感・3 - 10 高田孝一 2006/12/16(Sat) 06:50 No.560
 土方さんの写真は、どの写真も素晴らしい!!
 アメリカの印象は、マスコミの伝えてくる情報で作られがちですが、土方記者の写真と感性による報道は、とても楽しみです。「スケールの大きさ」、「風力発電にも力を入れている姿勢」参考になります。ありがとう。

  
  
返信: アメリカ雑感・3 teruyo - 2006/12/16(Sat) 07:29 No.561
 20年以上も前サンフランシスコ、ロス、ラスベガス等に行きました。今では随分変ってしまったことでしょう?フィシャーマンズワーフで食べた顔くらい大きさのの蟹の美味しさは今でも忘れられません。美しい写真を楽しませていただいています。
  
  
ゴールデンブリッジの由来 投稿者:飛田 投稿日:2006/12/16(Sat) 15:39 No.562
 土方さんの写真を拝見し、とても懐かしく拝読させていただいております。丁度18年前私が行ったコースと同じですから。ただ逆コースでした。ラスベガスの夜景は見事な出来映えですね。デジカメのない当時でしたから、私のアルバムはこんなに立派ではありません。ゴールデンゲートブリッジの楓さんの質問で、何故朱いかは今回言われてみて始めて気づきました。そこでネットで調べてみましたが、ハッキリとは書いてありません。たぶん推察ですが、夜景に照らし出される橋が、金色に見えるところから命名したものと思います。参考に添付ファイルを載せておきます。(添付ファイルを下に表示しました/編集者)
建設

この橋の建設で主要な役割を果たしたのは、 ジョセフ・シュトラウス (Joseph Strauss) である。彼はそれまでに小規模ながら400本以上の「はね橋」の建設に携わってきた人物である。最初に彼が提案した案は大きな片持トラス桁を使うものであった。 他、関わった重要人物としては、アールデコ調のデザインと色彩を決めた、アーヴィング・モロー (Irving Morrow) 、数学的検証を共同で行ったチャールズ・アルトン・エリス (Charles Alton Ellis) 、レオン・モイセフ (Leon Moisseiff) などである。モローの意見により自然との調和と霧の多いこの地域での視認性を考慮してインターナショナルオレンジという鮮やかな朱色(緊急事態を表す色でもある)が選ばれた。
橋の建設は1933年に始まり、1937年に完成した。1964年にニューヨークのベラザノナロウズ橋が完成するまでスパン世界一の吊り橋であった。建設費は2700万ドル。

利用

橋は南のサンフランシスコから北のマリンカウンティ(Marin County)方面へ抜ける唯一の道であり、6車線の道路と歩道を持つ。中央分離帯は、上り下りの交通量によって移動されるしくみで、朝の通勤時間帯であれば南行きが4車線となる。また、南行き(サンフランシスコ方面へ行く)自動車は通行料を支払う必要がある(2003年現在、$5.00)。歩道は自転車の通行も可能で、通常西側が歩行者用、東側が自転車用の道路となる。歩行・自転車を利用する場合、通行料を払う必要は無い。
ここはサンフランシスコの主要な観光名所ではあるが、同時に自殺の名所にもなっている。その対策のため2005年から防護柵を設ける計画が進んでいる。
夜 景   ある程度の霧なら橋を確認することができる

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 2006.12.16より)

編集者注:Wikipediaはオープンコンテント(誰でも書き換えられる)辞典のため、常に上記内容通りとは限りません
アメリカ雑感・4 投稿者:ひじかた 投稿日:2006/12/17(Sun) 21:48 No.571

 やっとの思いで世界遺産・ヨセミテ国立公園観光に到着。抜けるような青い空、かつての氷河で周辺の軟質の岩盤が削り取られ、硬質の花崗岩が残った。世界最大の1枚岩・高さ
1000b・ロッククライミングの名所 白いエル・キャピタンに迎えられた。
 そのほかこれも世界1? 美しい岩、ハーフ・ドームの景色を堪能。ブライダルベール滝などあちこち、ため息が出るような絶景ばかり。何気なく下を見ると谷底、3日前の残雪が残る中を半袖姿の男性が(滅多にない)ゴミを探しながら黙々と拾っていた。思わず“サンキュー”と大声を出したら、ニッコリ笑って手を振ってくれた。われわれが大勢で派手なコート着て、川掃除をする時とは大違いだった。
  
  
エル・キャピタン ひじかた - 2006/12/17(Sun) 22:10 No.573

 飛田さんの投稿・文頭のクリップ? をクリックするとファイルが出てくる、初めてです。ありがとうございました。どうすればあんな仕組みができるんでしょうか。ヨーデルさん神戸のルミナリエ、きれいですネー。私も昨年青春切符で見に行った記憶があります。


 世界中からトップクライマーたちが集まってくる。白い岩の頂上にかすかに見える木は30b前後、雨が少なく岩ばかりで10年間に1bの成長とか。今年この壁に挑戦したロッククライマーたちは4500人、最近3人が転落したそうだ。そして同じ道を夜のサンフランシスコへ引き返した。ほぼ全員が睡眠時間。
  
  
返信: アメリカ雑感・4 - 10 高田孝一 2006/12/18(Mon) 06:23 No.574
 エル・キャピタン 初めて知りました。それにしても、凄い岩ですね。土方さんの写真が素晴らしい!!(写真家になってもいいのでは・・・少し遅い??)
 1枚目の写真、土方さんの社会派の一面を物語っているのかもしれない。新しい発見!。
  
  
提案です -  小澤  2006/12/18(Mon) 20:29 No.576
数人の方から要望もありますし、この「アメリカ雑感」をHP近況の1ページに編集しようと思うのですが、賛同頂けるでしょうか。
(1)今後、アメリカ旅行する時に参照したい方々があろう。
(2)その時になって、談話室から探し出すのは大変な手間になる。
(3)編集は、土方さんの記事、その他の方々の記事や写真を一纏めにする。
(4)アメリカ旅行経験者で写真等(話題のみでも)お持ちの方は、土方投稿にプラス投稿して下さいませんか。
(5)編集は、原則として投稿のままを転載しますので、写真・文章は、近況ページ用にいくらでも修正・変更要求に応じます。
  
  
返信: アメリカ雑感・4 - 10 高田孝一 2006/12/18(Mon) 20:53 No.577
 小澤さん ありがとうございます。ぜひ、「近況」へまとめて掲載していただけるようお願いします。アメリカへ一度も行っていない小生にとって、土方さんの写真付コメントはとても新鮮で魅力的です。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
  
  
返信: アメリカ雑感・4 - 2006/12/18(Mon) 23:25 No.578
 折角の素晴らしい写真も 談話室では ばらばらに成って、しまいますので 近況に別立てして戴けたら見やすく何時でも開けますので・・ 素晴らしい提案だと 思います。
 又行かれた皆様方の写真や紀行文等 見せて頂けたら 嬉しいです。お願いします。
  
  
よろしくお願いします - ひじかた 2006/12/19(Tue) 11:10 No.583
 小澤さんはじめ、多くの方から“逆提案”されるなんて思いもしなかった。身に余る光栄です。こちらからお願いしなくてはいけないのに、、、、ありがとうございます。いつもの癖で年末作業?に追われ、年を越すかも知れませんがボチボチ投稿させてもらいます。

 ただ、このアメリカ雑感は写真(高田さんはカメラマンになれば、と持ち上げてくれたが、デジカメでパチパチ撮れば1、2枚はモノになりそうなのが出てきます)はともかく、駄文は私の一方的な感想ですから、まあ、遊び心です。読み流していただければ、、、。
 それよりも仕事で行かれた方、遊びで行かれた方、当時の写真や感想など寄せていただくとうれしいです。

アメリカ雑感・5 投稿者:ひじかた 投稿日:2006/12/20(Wed) 21:52 No.593

 翌日、国内便でロサンゼルスへ。バスに乗り換えサンタモニカビーチで1時間の休憩、記念写真を1枚撮ってハイ終わり。そしてハリウッドへ入った。案内されたのはアカデミー賞の授賞式が行われる、あの赤いじゅうたんのコダック・シアター、ここにはブランド店がビッシリ女性達の目が輝いた。私には最も退屈な時間だ。

 ふと、路上に目をやると 大道芸にあっという間に通行人の輪ができた。ニコニコ笑って拍手喝采、はやし立てる。日本だとニヤッと笑いながら通り過ぎるか、誰か立ち止まれば、そっと後ろからのぞくタイプが多い。こんなところにも国民性の違い。この近辺、いろいろなパフォーマンスが多く、一緒に写真撮りましょうと寄ってくる、Vサインでもして1枚パチリでお金を請求される。

  
  
ポール・ニューマン ひじかた - 2006/12/20(Wed) 22:38 No.595

 スターの手形・足形で有名なチャイニーズ・シアターの敷石で見つけたのは、洋画ファンならお馴染みのポール・ニューマンのサインと手形。私の記憶では「傷だらけの栄光」や「ハスラー2」だった。アカデミー賞・主演男優賞など数々の賞に輝き、反核運動や麻薬撲滅運動の先頭にも立った。
アメリカ雑感・6 投稿者:ひじかた 投稿日:2006/12/27(Wed) 21:01 No.611

 ガラス拭きを残して やっと年末雑事から解放?され、コウテンHPに戻ってきました。高田さんの千両は見事ですが、わが家の千両(2030年生)は全くダメ、こんなこと初めて、お正月のお花を買うことになってしまった。楓さんどうして、教えて!

 飛田さん、ゴールデン・ブリッジの看板2枚、和訳ありあがとうございました。ガッテン!

 何処を走っても日本の車ばかり、6〜7割は日本車だ「先月50万台が売れ、ハイブリッド車は待たないと買えない。レクサスは800万円、牛は5年で8万円、技術立国の勝ちだ!」 とアメリカ国籍のガイドは自嘲気味。片側10車線のハイウェー・黄色い二重線の内側は二人以上が乗っていれば、もう1つハイブリッド車なら優先だ。
  
  
返信: アメリカ雑感・6 ひじかた - 2006/12/27(Wed) 21:19 No.612

 一概に比較はできないが、アメリカのガソリンは安い。値段看板は1ガロン(3.8リットルあたり)、2.55$(300円前後)。
1リットルあたりに換算すれば、70円を切る。日本の半分だ。
  
  
返信: アメリカ雑感・6 - 10 高田孝一 2006/12/28(Thu) 17:43 No.617
 片側10車線のハイウェイとは凄いですね。それだけあれば、交通渋滞はないのでしょう。ガソリン価格の割安さとハイウェイ
料金がないことは、車での旅行者には魅力ですね。(一部のハイウェイは有料ですか?)
 日本の高速道路は本当に高いし、ガソリン価格も高いし、少人数でのドライブは勿体ないですね。
  
  
返信: アメリカ雑感・6 - 2006/12/31(Sun) 09:36 No.625
 片側10車線、ガソリン70円を切るとは 驚くばかり、昔の落語でアメリカ話をおばあちゃんは知らないと思い、でたらめに話すたび おばあちゃんが「おどれ〜たよ〜」と連発、最後に言ったおばあちゃんの言葉は「お前の嘘つきには おどれ〜たよ〜、わしゃあ、アメリカに住んでいて、エンパイアステ-トビルディングの高さ○○メートル・・・・・」を思い出しましたが 知らない者は聞いただけで信じるが、写真が物語ってくれますね。
  
  
返信: アメリカ雑感・6 - アンディ 2007/01/08(Mon) 08:46 No.657
昔(10年位前?)仕事でシカゴへ立ち寄った時、駐在員の車で空港から事務所まで行ったことがありますが、道幅の広さにはびっくりしました。(滑走路を併せたイメージ)
車のスピードも速いため、何キロ(何マイル?)も前から斜線を変更しないと降りられないと聞いた覚えがあります。
土方さんの「アメリカ雑感」に刺激されて、私も正月休みから過去の写真を探し出しています。いずれPhotoShop E.の練習を兼ねて「昔々のアメリカ出張物語」を投稿しよう!まずは烽火だけ!!
  
  

返信: アメリカ雑感・6 -  小澤武夫  2007/01/08(Mon) 21:17 No.658
アンディさん。僕はアメリカに行ったことがないので、多少のピンぼけ写真でも、僅かな情報でも面白いので、投稿よろしくお願いします。
teruyo
さんが、サンフランシスコでカニを食べて美味しかった、と投稿して下さったのを、食いしん坊の僕は、もし機会があったら・・・と今でも時々想い出します。

  
  
返信: アメリカ雑感・6 - ひじかた 2007/01/09(Tue) 23:18 No.661
待ってました アンディーさん! 私は残念ながら仕事で海外へ出る機会がありませんでした。遊びで出掛けるなら、それなりの準備をすれば、家庭環境が許せば誰でも可能です。所詮、観光ですから見方、考え方はも何となく分かります。でも、仕事となるとこれは想像を超える厳しさがあると思います。人生を棒に振った友人を知っています。
楽しみにしています。PhotoShopE これがまた楽しみですネ。

アメリカ雑感・7投稿者:ひじかた 投稿日:2006/12/31(Sun) 16:38 No.628

<寄せ書き>5日目、ユタ州・モニュメントバレーに向かう途中、カイエンタという町でトイレストップ。ここには旧日本軍から得た戦利品の数々が展示してあった。弾丸、九七歩兵一〇〇式銃、水筒、落下傘、ガスマスク、日本刀などの中に日章旗の寄せ書き(写真)があった。
「乾坤一擲」「獅子奮迅」「米英撃滅」などの文字が読み取れる。私も過去、いろいろな寄せ書きに署名したが、この人たちはどんな気持ちで書いたのだろうか、同行したツアー仲間(特に男性)は、食い入るように覗き込んだ。
 当時アメリカ軍の暗号は英語ではなく、この地のインディアン・ナバホ族(語)が使われたという。この横には「第二次大戦に参加したナバホ族の暗号部隊活躍の歴史を展示したもので何等の反日感情を持つものではありません」という、日本語と英語(?)が並んでいた。もちろん多くの日本人観光客を意識してのことだろう。

  
  
返信: アメリカ雑感・7 ひじかた - 2006/12/31(Sun) 18:03 No.629

 このナバホ族は九州位の広さに10万人が住み、ある程度の自治権が認められている。砂漠の中にポツンポツンと家、町と町はかなり離れ、気になったのは学校。聞いて見ると「スクールバスが向かえに来る、教育は熱心だ」と、ガイドはいうが。生活は観光・酪農・政府の優遇策の3本柱という。先住民なのに近くを流れるコロラド川の水利権がなく、陳情が続いているという。

<C−54型機>マッカーサーの厚木飛行場到着シーン、サングラスにパイプをくわえて降り立った光景は、われわれ年代には何度も見せられた。この時乗ってきたのがこの飛行機と同じものだったそうです。
  
  
返信: アメリカ雑感・7 - 10 高田孝一 2006/12/31(Sun) 23:38 No.632
 マッカーサーの名前を久し振りに聞いて、イラクのフセインへの対応と比較しました。
 マッカーサーは、絶対的な存在であった昭和天皇の責任を追及せず、日本の復興のために活用したと思います。
イラクの戦後統治の真の責任者が誰であるかわかりませんが、少なくともマッカーサーに匹敵する現地指揮官は見当たりません。今回の犯罪者として死刑執行をする決定が、果たして、どのような結果をもたらすか。短期的には、イラクでの対応は日本での対応と比較してマイナスが多いのではないかと感じています。(堅い話ですみません)
アメリカ雑感・8 投稿者:ひじかた 投稿日:2007/01/04(Thu) 22:06 No.643

 高田さん 宮路山の初日、楓さん 豊川放水路管理棟からの日の出(私の生まれ育った行明町)、小澤さん 飛行機からの富士山。居ながらにして富士や日の出が見られるのもHPあればこそです。

<モニュメント・バレー> またアメリカの話題に戻って恐縮ですが、もうしばらくお付き合い下さい。
 長年にわたる雨や風による風化作用や地殻変動によってできたビュート(岩峰)が、赤茶けた荒野にポツンポツンと立つ荒涼とした景色が印象的(パンフレットから)。ユタとアリゾナの州境にあり、数々の西部劇やCMに登場し、大西部を代表する風景の一つになっている。誰しも一度は写真などで見たことがあるだろう。ここもインディアン・ナバホ族の居留地で彼らが全て管理、運営している。未舗装路を走るジープに乗ってバレーツアーへ出掛けたが、素晴らしい風景だ。人間がちっぽけに見える。
  
  
返信: アメリカ雑感・8 - ひじかた 2007/01/04(Thu) 22:29 No.645

 モニュメントバレーを舞台にした西部劇映画は多く、ジョンフォード監督の「駅馬車」「黄色いリボン」「荒野の決闘」は懐かしい! この地、この風景を愛したジョンフォードやジョンウエイン。ここに入ってくる白人はほとんどはじき出されれたが、彼らだけはインディアンを愛し、映画撮影もほとんどナバホ族に頼り、信頼を勝ち取った。
 映画撮影当時の定宿であった Goulding's Lodgeの前でパチリ撮ったがどうにも見劣りする、ドラキチさんのハットを借りてくればよかった! 今は博物館として残っている。
  
  
返信: アメリカ雑感・8 - アミーチ 2007/01/05(Fri) 12:00 No.646
 アメリカ雑感、どきどき感ありで楽しいですね。映画好きの私は、ポールニューマンの手形が出てきたときは「思いのほか可愛い手ではないか」と暫し見とれ、そして今日は、これはジョンウエインですね!土方さん、ドラキチさんのハットを被り、ジーンズに着替え、片手に拳銃を持てば決りましたね。少々小道具が足りなかった?
 お正月早々ヒンシュクをかいますが、こんな裏話を御存知でしょうか?当時アメリカ映画がどんどん入ってきて、俳優で一番「お尻」がカッコいいのは誰だか知っている?教えてあげようか「ジョンウェイーーン」と姉からいわれ、今度西部劇映画を見るときは、そこに集中しよう・・と密かに思ったのですが、映画の好みが違い、この思いはボツになりました。そして洋画全盛期がきて、アランドロン・モンゴメリークリフト・ジェームスディーンほかほか、夢中になりました。当時、西部劇とミュージカルをドッキングさせた「カラミティ・ジェーン」は、さしてヒットはしないものの忘れられない映画でした。
アメリカ雑感・9 投稿者:ひじかた 投稿日:2007/01/12(Fri) 12:05 No.662

<グランドキャニオンの夕陽>でっかい太陽が沈んでいく、爺さんにも感動的だった。ツアー一行の平均年齢を唯一下げてくれた若いお二人さん、肩を寄せ合い語り合っている光景は、もっと美しかった。「私は25歳、彼は28歳、海外は5回目、土曜日も仕事だからまとまった休暇が取れないが、こんな時は思いっきり遊びます」と。

大人達? との付き合いはうまく、距離を感じさせない。観光スポットでは、この新婚さんを探すと、必ずベストポジションでパチリ、パチリ。われわれも後から、のこのこ行ってパチリ。ホンの一こまですが、若い感性に脱帽。
  
  
返信: アメリカ雑感・9 - ひじかた 2007/01/12(Fri) 12:11 No.663

夕陽が沈むと同時に、反対側に大きなお月さんがくっきり。
晴天・乾燥・塵が少ないのか、日本で見る満月よりはるかに大きくきれいに見えたのは何故、月に近い?  その後、猛烈な寒さがやってきた。翌朝の最低気温は氷点下13℃だったというから、風が強く体感温度は氷点下10℃前後かナ。

この日は、予定より早く到着。オマケに夕陽を見ることになったため、防寒スタイルどころか、バスが迎えに来るまで夏ズボンにステテコで震え上がった。
  
  
返信: 夕日輝き - 2007/01/13(Sat) 20:17 No.668
夕日の輝き以上に 若きお二人の輝きにスポットがあたり素晴らしい光景ですね。、急激な気温低下でも お二人の温かさが戴けましたね。日本では考えられないほどの 気温差に驚きました。
  
  
返信: アメリカ雑感・9 - 飛田一成 2007/01/16(Tue) 12:13 No.675

18年前アメリカに行った時の写真(グランドキャニオン)です。9月でしたので半袖で丁度良いくらいの気候でした。グランドキャニオンが氷点下13℃になるとはね。私が一番アメリカで感動したのはこのグランドキャニオンでしたね。1時間も岩肌を眺めていると色が変化していく様子が素晴らしかったです。この写真はデジカメで撮ったのではなく、当時のカラー写真をスキャナーで入力したので、あまり良く写ってないのが残念です。
  
  
返信: アメリカ雑感・9 - ひじかた 2007/01/16(Tue) 23:10 No.676

飛田さん、なかなか迫力ある写真ですね。18年前、しかもスキャナーで取り込んだとは思えない。男前もさることながら、アングルが素晴らしい。

<朝日>今回、アメリカを選んだのは私もグランドキャニオンを見たかったため。この壮大な光景を安物のデジカメで収めるにはあまりにもムリだった。
色鮮やかな岩層は異なる年代や環境を映し出す窓のようなもの、一番下に見られる最も古い層は17億年という想像を絶する前に出来上がった。1万年前と言われても分からないのに、1億年前の17倍! もうやめた。

朝日が出てくる寸前、大きな岩の上でガイジン・ペアが抱き合って、もうれつなキス! 周囲は羨ましそうな 照れ笑いをしながらも チラチラ見入っていた。
  
  
返信: アメリカ雑感・9 -  小澤武夫  2007/01/16(Tue) 23:21 No.677
ひじかたさんの仰るとおり、飛田さんの写真はスキャナーで取り込んだものとは思えない迫力です。
そこで少し考えました。「近況>アメリカ雑感」のページの写真も、原画サイズ表示も可能なように大改装しました。土方さん・飛田さんの写真を拡大してみると、その迫力が楽しめると思います。(勿論談話室写真も拡大可能ですが、下に送られたものは・・・面倒です)
  
  
返信: アメリカ雑感・9 - ひじかた 2007/01/16(Tue) 23:22 No.678

 帰り道、突然 雑木林から鹿の夫婦が跳び出した。おっかなびっくり、立派な雄を1枚パチリ。グランドキャニオンには76種ものほ乳類が棲息しているというが、見掛けたのはリス、ヒツジ、アライグマ? くらいだった。そのほか、ガラガラヘビやサソリもいるそうだ。ホンのひととき、夕日と朝日を眺めたくらいでは何も分からない。

昨年暮れ「ホームページのアメリカを懐かしく拝見しました。私も土方さんとそっくりのルートで観光。グランドキャニオンのスケールのばかでかさにびっくりしました。3年位前ですが、まだ出入国はそんなに厳しくなかった。私達夫婦は海外バカ、あちこち随分いきました。1月は・・・・・に行ってきます。帰ってきたら写真を発表しますから見てください。★佳津子 」というメールを頂きました。かっちゃん ありがとう。
  
  
返信: アメリカ雑感・9 - 飛田一成 2007/01/18(Thu) 00:35 No.679

グランドキャニオンの写真がもう1枚見つかりましたので掲載します。左側にいる人影と比較してみると、そのスケールの大きさが分かります。崖の下にコロラド川が流れている筈ですが、流れが全然見えません
  
  
返信: アメリカ雑感・9 - ひじかた 2007/01/18(Thu) 22:22 No.683
 飛田さん この写真1枚あれば、何の説明も要らないほどスケールの大きさが伝わってきます。
コロラド川の水が見えるポイントは7カ所あるそうです。私も1枚だけ撮れました。でも、全体的にはやや迫力に欠けます。
  
  
返信: アメリカ雑感・9 - 飛田一成 2007/01/21(Sun) 15:09 No.687
この写真は、ヨセミテナショナルパークにあるエル・キャピタン(左側の岩山)。左上に見える樹木(約30m)と比較して、この岩がとてつもなく大きいのが分かります。確かこの時ロッククライミングをしていた人が2人ほどいたはずですが、この写真ではあまりに人は小さく判別できませんね。また、私が行った年は、渇水期で、この近くにある滝の水は白糸の滝のようだったことを覚えています。

とにかくアメリカは広い。ロスからラスベガスまで車で4時間(約300km)走っても、地平線まで岩だらけの荒野、他は何も見えない。この地下にはきっと手つかずの鉱物資源がいっぱいあるんだろうな。
こんな国と戦争して勝つわけないよ、と当時バスの中で考えていたことを思い出しました。
  
  
返信: アメリカ雑感・9 - 青い鳥 2007/01/21(Sun) 17:51 No.688
土方さん、飛田さんの素晴らしいグランドキャ二オンの写真を拝見してて、何だか懐かしくなり、電子アルバムを覗いてみました。私が行ったのは3年程前ですが・・・年末を宿泊ホテルの前のストリップ大通りでカウントダウンし、翌日グランドキャニオンへ。ラスベガス空港よりグランドキャニオンサウスリムまで大渓谷の中1時間程の遊覧飛行をしました。
グランドキャニオンの全長は東京〜京都間位とか谷底までは1,600m。壮観な眺めのサウスリム南壁、コロラド川も上から眺め、スリルとスケールの大きさには手に汗握る驚嘆でした
土方さんの鹿の写真拝見して私も空港に帰るバスの中から可愛い鹿を見ました。飛行機遊覧も鹿もビデオで撮ってありますので又お見せできるかと思います。
  
  
返信: アメリカ雑感・9 - ひじかた 2007/01/22(Mon) 19:26 No.696
飛田さん いろいろな写真を見せて頂きありがとう。私も途中、石炭採掘用のコンベアーが延々と続くのを見ながら、この地下にはもっと他の資源があるだろうなぁー、と考えていた。

青い鳥さん、ラスベガス空港からグランドキャニオンまで遊覧飛行ですか。私の友達(還暦過ぎの女性)は、同じような経験を「もし、ここで飛行機が墜落しても後悔しないと思うくらい感動した」と、その時の興奮を語ってくれた。
アメリカ雑感・10 投稿者:ひじかた 投稿日:2007/01/22(Mon) 19:07 No.694

 ダラダラ長くなってしまい、申し訳ない。あと2、3回で完としたいのでお付き合い下さい。
<ルート66>6日目、グランドキャニオンともお別れしてラスベガスへ向かった。途中、古きよきアメリカの面影を残す「旧ルート66」を走った。ここに来て初めてその存在を知った。日本で言えば、今も残る赤坂〜音羽周辺の旧東海道みたいなもので、自動車時代が始まった1920年〜30年代に建設されたアメリカの大幹線道路。中部・南西部の主要都市を結び、全長4000`に及ぶという。やがて高速・大量輸送のできる道が必要になり、1980年代にはその役目を終え、地図の上から名前が消えた。スケールの大きさに驚く。


いま、その良さを残そうとあちこちで観光道路を兼ねて走っている。途中しばらく、大平原をサンタフェ鉄道の貨物列車(100輌くらい=写真)と併走するのは、アメリカドライブの醍醐味といえそうだ。
  
  
返信: アメリカ雑感・10 - ひじかた 2007/01/22(Mon) 19:12 No.695
<その2>草原地帯をさらに飛ばしてセリグマンの街へ。この町もかつてのルート66の旅籠としての面影を残し、おもしろい土産物屋がある。なかでもマリリンモンローやプレスリーなどのマネキン人形を店頭に飾った店などは有名。私は旅に出るとよく帽子を買う。被ると頭が締まる、暖かい、夏なら日除け、ハゲ隠しにもなる。ここで12$の帽子を買った。
記念にカメラを向けたらお店のボインちゃんが「私たちと撮ろう」と、手招きしてカウンターの中へ。2人に腕を組んで挟まれ緊張、頬がこわばっている(写真カット)。日本ではまずあり得ない。
  
  
返信: アメリカ雑感・10 - ファーマー 2007/01/24(Wed) 19:34 No.698
ひじかたさん 珍しい写真・お話ありがとうございます。
「旧ルート66」も「サンタフェ鉄道」も初めて聞く言葉でした。ネットで調べて、少しわかるようになりました。
ひじかたさんのおかげで、ニュースが余り伝えないアメリカの一部知ることができます。
 小生の住んでいる音羽町の隣にある「御油並木」も、その松を保存するために、多くの方がボランテイアで活躍しています。古いものを残すことはたいへんなことですが、「馬込の宿」のように、誰かその気になって動き出すと、仲間が集まってくる日本人の良さがありますが、アメリカでも同じようなことが起こっているのかもしれませんね。

アメリカ雑感・11 投稿者:ひじかた 投稿日:2007/01/28(Sun) 16:49 No.702

<ラスベガス>アメリカ最後の滞在地は、わずか一夜の不夜城ラスベガス。今回、思い切ってオプション「日本食とイルミネーションツアー・150$」を利用した。
この旅行記・冒頭の夜景は、市街が一望できるストラトスフィアタワーから撮ったもの。展望鏡の台座に片足を乗せ、ストリップ通りを中心に、手前二重の柵が映らないように背伸びして片手でパチリ。自慢の? 1枚。

もう1枚は、ダウンタウン(中心地ストリップ地区より車で10分・ガイドは歩いて行かないようにと注意)にあるアーケードの天井一面がスクリーンになっている。次から次に迫力ある映像が迫ってくる、そして1250万個の発光ダイオードが目映く、まさに不夜城。自然に手をつなぎたくなるようなムード、何十年ぶりに妻と、、、

  
  
返信: アメリカ雑感・11 - ひじかた 2007/01/28(Sun) 16:53 No.703
<その2>食べ物については Teruyoさんのように美味しい蟹にも恵まれず、こんなモンだろうくらいしか思わなかった。ところが皮肉なことに、ラスベガスに来て日本食の旨さとブームを教えられた。
レストラン「HAMADA」という日本食のお店、予約しなければまず入れない。美人揃いで和服の日本人ウエイトレス。寿司、天ぷら、刺身、煮物 どれもこれも超おいしい。マグロのトロなんて最高だ、これじゃマグロ資源が枯渇するわけだ。周囲を見渡したがアジア系のお客は皆無だった。

ラスベガスに来たら、誰でもカジノをやってみたい。手頃なのはスロットマシン、1¢〜5000$まで手軽にできる。私は1$札で10$挑戦して30分近く遊んだ、最後の1$札で5$25¢まで取り戻し、“いつストップしてもいい”と言うことなので、出てきたメタルを窓口に持参したら、ちゃんと換金してくれた。
プライベートを護るためカメラは厳禁、あちこちに監視カメラ、監視員の目が光る。ドル箱だけに、誰でも安心して遊べる雰囲気がある。ハマコーがここでハマッたわけだ。最大のお客さんは中国人だそうです。
  
  
返信: アメリカ雑感・11 - 飛田一成 2007/01/29(Mon) 11:11 No.705
土方さん若いですね。とても67歳には見えないよ。また奥さんの若いこと、はつらつとしてる。

私が行ったときのラスベガスの写真、探しているのだが見つからない。写真がないと余り思い出さないものですね。ラスベガスの思いでと言えば、スロットマシンをカミサンと各5$づつやって競争したこと。私はあっと言う間になくなったが、カミサンはぞろ目の7が出て、ひとしきりざらざらとコインメタルが出てビックリ。周りの人たちが集まってきてね。たしか最小単位だったのでそれほどは儲かりませんでした。
それと、朝食のバイキング。ボーイが切るロースト肉の厚いこと、まるでステーキ。何枚も食べられない。またアイスクリームが美味くて、量の多いこと。ボール(中)一杯入るほど。
アメリカは有り余るほど食料があるからと言って、こんな食事を毎日しているのだから、アメリカ人に半端でないデブが多い訳がこれで納得しました。
  
  
返信: アメリカ雑感・11 - アミーチ 2007/01/30(Tue) 15:46 No.709
これ見てー、 土方夫妻飛んでますねー!この映像が頭のどこかに残っていたのでしようねー夢を見てしまったのです。
ま、ちと距離感はありますが、昔みた映画、そうです『ウエストサイド・ストーリー』ジョージ・チャキリス&ナタリー・ウッドです。あのカッコいい足の長さとリズミカルなダンスにのせてアレンジした決闘場面、素晴らしい演出でした。土日が来れば学生パーティーに足を運んだものですが、ダンスはそこそこ上達しても、足の長さは変らない!細身だったことが救われた青春時代がチラついた。土方夫妻若いじゃん!
指をくわえて眺めるか!土方さん片手にピストルでなくてビニール袋がきになるねぇ。
  
  
返信: アメリカ雑感・11 - 青い鳥 2007/01/31(Wed) 00:31 No.710
ダウンタウンのフリーモント通りでの土方ご夫妻、ほんとうにお若い!アミーチさんが仰ってた『ウエストサイド・物語』の・・・思い出しました、そう、言えてます,アミーチさんではないけれど悔しいけれど指をくわえて拝見してやっぱりステキなお二人でした。あのイルミネーションのショー(多分15分位だったと思いますが)1回のショーで約30万円の電気代がかかるとかききました。我が亭主は天井のイルミネーションばかりにビデオを回しておりました。
旅行記の最初のストラトスフイアタワーの展望台からの夜景もとてもきれいに撮れていて・・確か108F、外に出ると風が強く寒かったこと思い出しました。旅行記(行程は違いましたが)懐かしく思い出したりして楽しみながら拝見致しました、有難うございました。

アメリカ雑感・12 投稿者:ひじかた 投稿日:2007/02/01(Thu) 22:27 No.713

飛田さん 奥様はスロットマシンで儲けたんですか? いい想い出ですねぇー。アミーチさん、片手にビニール袋なんて、言われて初めて気がついた。青い鳥さん あのイルミネーションが1回・15分・30万円ですか、ビックリしました。

<ディスカウントショップ> 旅行中、向こうが見えないほど広いディスカウントショップへ、また小型のスーパーなども利用した。Xマス前、何を買ったのか SANYOの箱を担いだ若い女性、手前のレジ前には大きなカートにどっさり買い込んである。水は2本・1$、空港で同じ水が4倍の1本・2$。チョコレートは1箱・3$(入り口のチラシを持参すれば50¢引)、空港では8$でした。持ち歩く水、お土産用チョコなどはかなりお値打ち。

今回の旅はネバタ州、カリフォルニア州、ユタ州、アリゾナ州など4州にまたがった。アメリカは連邦国家、州政府は独立した自治・財政。走行中のバスが突然ガタガタ揺れ出した、すると「ただいま、○○州に入りました、お金がないので道が悪くなりました」とガイド。日本が目指している道州制とはどんなものなのか?

  
  
返信: アメリカ雑感・12 - ひじかた 2007/02/01(Thu) 22:31 No.714
<子供に国境はない> ナハボ・インディアンの赤ちゃんには蒙古斑点があり、ハニカミ屋で、まず他人の発言を聞いてからしゃべり出す、アメリカ人とは逆。日本文化と似ているという。いままでにアメリカ(白人)と闘ったのは日本人だけだ、と尊敬しているともいう。

帰国直前、サンフランシスコ空港でCoffee飲んでたら隣席の子供と“会話”ができた。ママの了解をとって、キャンディーをプレゼント。ほんわか気持ちが伝わってきた。
  
  
返信: アメリカ雑感・12 - 飛田一成 2007/02/02(Fri) 01:13 No.716
土方さん、アメリカ雑感もいよいよクライマックスですね。いろいろ参加させていただいてありがとうございました。

カミサンのスロットマシンは5000円程度の儲けだったと記憶しております。20人ほどのツアーでしたが、翌日のバス内で前日の賭けの成績を公表した中では、1番でした。

道州制について、一言。
私の住んでいる埼玉県や神奈川・千葉県でも東京近郊は都市化のひずみで、ちょっと奥に入れば道は狭く、渋滞で大変です。娘の住んでいる世田谷区やその隣の杉並区でも名前は良いが幹線道路から外れれば、農道を舗装した程度の一方通行ばかり。それに比べ群馬県や栃木県はスイスイ走る。道州制になってもアメリカと形こそ違い、こればかりはナカナカ解決しないと思いますよ。
現役時代、街造りを担当し苦労したものだから、ツイ愚痴を言ってしまいました。 失礼。
  
  
返信: アメリカ雑感・12 - 2007/02/02(Fri) 22:01 No.717
アメリカ雑感物語、旅のパンフには載っていない様なその国の状況や、人とのふれあい興味身心と見せて頂き有難う御座いました。冒頭の不夜城の夜景写真は 片手片足でタワ―から 命がけの撮影 最高傑作写真ですね。
-ルデンゲ-トの英語看板も 飛田さんが和訳して下さりその昔が偲ばれ、赤色の金門橋の命名も 納得出来有難う御座いました。
店内が霞むほどの敷地ですと 駐車場もかなりでしょうね。
幼子の頂戴の両手は 可愛らしいですね。

アメリカ雑感・13(完) 投稿者:ひじかた 投稿日:2007/02/04(Sun) 23:04 No.719

<旅は道連れ> 最後に、小澤さんたちのイタリア4人旅が楽しかったように、今回のツアーで意気投合した3家族。妻と二人だけなら、そのうちケンカが始まるが、初日から親しくさせてもらったお陰で8日間があっという間に過ぎた(写真はモニュメントバレー)。もちろん夫婦の旅、一人旅のよさもある。

*もう1つ、何処へ行くにも荷物を持ち、コートを着せ、手を貸し、障害を持った奥さんとピッタリの老紳士。以前、アメリカ・HONDA工場を立ち上げる時に活躍した経歴の持ち主だった。

*とにかくアメリカは広くて大きい、資源大国だ。犬に飼われている無数の羊たち、放牧された何万頭の牛、狂牛病対策が日本的な感覚ではとてもパスする訳はない、かと言って同情はしない。歴史はイタリアなどに比べようもないほど浅い。侵略されたことも、戦争に負けた経験もない。唯一ベトナムに苦杯をなめた。華やかなアメリカ、雄大なアメリカを見せられ、常に気になっていたのは泥沼化したイラクへの派兵、楽しそうに腕組んでいる若者に(英語が話せたら)ホンネを聞いてみたかった。この国を頼りにする日本、いくら歳を重ねても無関心ではいられない。

*幸い、私は いままで健康と環境に恵まれ、時々あちこちに出掛けますが、どうしても家を空けることができない人たち、高10の中にもみえます。明日はわが身かもしれません、本当に感謝しています。残された人生、少しでも社会に還元できることがあれば、、、、。長い旅日記、最後までありがとうございました。(完)

  
  
返信: アメリカ雑感・13(完) - ファーマー 2007/02/05(Mon) 07:05 No.720
土方さん 本当にありがとうございました。土方さんのお蔭で、新聞があまり伝えてくれないアメリカの自然の素晴らしさの一端を理解することができました。
 我々の世代で、外国旅行に妻と一緒に出掛けることが出来る幸せ者は少ないと思います。その幸せをネットを通じて、多くの仲間におすそ分けしていただき感謝いたします。
この連載を通して、奥様の人柄もよくわかりました。奥様にもよろしくお伝え下さい。
['06.12.19 初掲]