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スロベニア、クロアチア
資料提供:フリージアさん(2009年初夏)、ゆりさん(2007年秋)/*追加資料:ヨーデルさん(2009年夏)
(季節の違いは、木々の色、人々の服装などでご判断下さい)

スライドショー(中画面800×600、大画面1200×900)
将来を見据え大写真も使用しています/画面を最大にしてご覧下さい/拡大写真のクリックで更に原画までの拡大表示が可能です
旅のプロローグ
predigra(ス), prolog(ク), Prolog(独), prologo(伊), prologue(英)
<フリージアさんの行程>
関空からヨーロッパ経由にて、スロヴェニアの首都リュブリアナ国際空港に到着。着後すぐブレッド(泊)へ。翌朝よりブレッド湖から、観光の旅が始まりました。ヨーロッパ最大の規模を誇るボストイナ鍾乳洞を観光後、国境を越え、クロアチアのオパティア(泊)、プリトヴィツェ湖群(泊)へ。そしてアドリア海沿岸を南下しながら、中世の旧い街まちを訪れます。シベ二ク、トロギール、スプリット(泊)、 ドブロヴ二ク(連泊)、首都ザグレブ(泊)から帰国。


<ゆりさんの行程>
1日目はリュブリヤナから始まり、以下よく似た行程のようです(下段写真右:リュブリヤナ市内の「三本橋」)
ブレッド(ホテル・リブノ泊)
山は深く、木々に囲まれた静かなホテルでした。朝は小鳥のさえずりで目覚め、ベランダには花、ふと見上げる暗い雲の流れに、自然の厳しさを垣間見る瞬間もありました。→
←ホテルから歩いて4,5分 散歩しました。こんなに美しい村があるなんて!! 私のもつ語彙では、その素晴らしさを表現し尽くせません。自然そのままの景色、素朴というのでもなく・・
この朝の散歩は、つかぬ間の時間でした。すぐブレッド湖、ポストイナ鍾乳洞の観光に出発しました。
(お節介:諸写真看板から判読すると、両国ともスロベニア・クロアチア語は勿論、独・伊・英語も通じる所があるようだ)
スロベニア
スロヴェニァは、1991年に首都をリュブリアナと定め、旧ユーゴスラヴィアから独立しました。日本の四国とほぼ同じ位の小さな国で、2004年、EUにも加盟しました。クロアチアへと連なるユリアン・アルプスや、イタリアとの国境沿いのトリグラフ山に囲まれ、オーストリア、ハンガリーとも隣接しています。
ブレッド湖

フレッド城より
「アルプスの瞳」ブレッド湖
を見下ろす
ブレッド湖畔散策 チトーの別荘であった「ヴィラ・ブレッド」 
ブレッド湖に咲く蓮の花 向かい山上にブレッド城 ブレッド城内
湖にうかぶ聖母マリア教会
この教会で結婚式を挙げるのに、花婿は花嫁を抱っこして階段を登るのだそうで、本当にその練習をしていたので「体力要るねー」と笑い合いました →
聖母マリア教会の100階段 グーテンベルクの印刷機を実演しています フランチェスコ修道僧のワイン販売と試飲の後、一休み
ボストイナ鍾乳洞
湖と鍾乳洞の観光直後、バスで60km移動して国境を越え、クロアチアのオパティアで一泊。/今回の旅はホテル・食べ物など満足度は非常に高いものでしたが、この場所のみ「例外」!

(オパティアは、ハプスブルグ家が支配した頃から、貴族の別荘が建ち並ぶ高級リゾート地です。泊っただけで観光も写真を撮るチャンスも無く、朝食後プリトヴィツェへ)
ポストイナ鍾乳洞は、世界で2番目に巨大な鍾乳洞だそうです 鍾乳洞の出口、入り口は右側の建物からトロッコに乗車 見学はトロッコに乗って又歩いてと、約一時間半かけて回りました ちょっと信じ難い、奇妙な世界がありました
クロアチア
( "*00" クリックで追加画像を表示します)
ボストイナ → プリトヴィツェへ プリトヴィツェ湖群
北極点と赤道のちょうど中間に位置すること で有名な町・センジャに立ち寄り・・・道沿いに手作りのハチミツやスモークチーズを売るお店で、チーズを買いました/プリトヴィツェ国立公園が近づくにつれ、1991〜1995の戦争跡が姿をあらわし、当時の恐怖を感じさせました。戦場、殺戮のあった(スロヴェニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアが民族浄化で戦う)地雷も残る地域を通り抜けて。銃弾で破壊された屋根/*22 世界遺産
プリトヴィツェ湖群
マップ
プリトヴィツェ湖群国立公園へ(一時は危機遺産となりましたが)到着
さまざまな滝や湖を見ながらハイキング。400年程前には、伝説と謎に包まれた近寄り難い所で分け入ることの出来ない鬱蒼とした森だったそうです/*17 コラナ川(写真がありません)の流れを見ながら少し登りそしてハイキング/*16, *19 湖にはマスがいっぱい泳ぎ、鴨も遊んでいました/*18 大きな滝・プリトヴィツェ滝。約78mの高さから流れ落ちるクロアチア最大の滝です 細い滝・ブルシタヴィツィ滝。約20mの高さから
楓さんからの投稿 2009/07/07/エメラルドのブレッド湖に映る水鏡の風景写真、言葉の無い感動素晴らしいですね。フリ-ジアさんの初夏の緑、ゆりさんの秋の紅葉どちらも素晴らしい風景を一度に見せて頂き、自分も行ったような気分で散策させて貰いました。鍾乳洞にトロッコが走るとは、大きさにビックリ驚いています。緑・水・から、見てるだけでも沢山のマイナスイオンを戴いた様な気分です。感動の写真、本当に有難う御座いました。
フリージアさんより/楓さん ご覧下さり有難うございます。ゆりさんが、丁度似たコースで行かれたのを投稿して下さり、私自身も合わせて秋の風景を楽しむことが出来てうれしいです。
ホテルJEZERO(今夜宿泊)へ行く道を示す標識 この流れがコラナ川になる 深い木立の間からエメラルドグリーンの湖


私の好きな写真です。パンフレットで見たとおりの湖群公園で、ずっと前、初めてここの写真を見た時感激し、こんなにも奇麗なところがあるのか・・・と。どこの国かしら、憧れ、行きたい、行きたいと思っており、満足しての帰りのバスの中から写した写真。秋で少し淋しいですが、私の心は満足で一杯でした。
湖群のマップ/公園の中にあるホテルに宿泊したので、一日ゆっくり湖群を散策しました。熊のような大きい男性のガイドさんを思い出します。どこのガイドさんも、当地を凄く愛し、大切に思っていることがわかります。湖群移動用の電気自動車/出かけたのが秋でしたので、水量が少なく、岩や草の中から湖水が流れ出ており足元も気をつけないといけなく、でも周りの紅葉はきれいでした。フリージアさんのお写真を見ると、やはり夏前がベスト・シーズンでしょう。
公園の中は広いのでボートの移動もありました
シベニクに向かう
朝から山越えしてアドリア海沿岸ダルメシア地方へ。(101匹ワンちゃんで有名になった犬種 ダルメシアンの郷里といわれている) 中世の頃ヴェネチア共和国の支配下にあり、建築など多くの影響を受けた地域 カルカ川に架かる橋、川もきれい。花も咲いて、ドライブインで休憩、橋まで歩く/*14, *15 シベ二クはカルカ川の河口に開けた港町。海辺で お昼は手長海老がでました。大変美味しく、みんなが 「お代りがしたいね!」と言いました 路地を抜けると カラフルな家
シベニク/トロギール トロギール
聖ヤコブ大聖堂。町のシンボルであり勿論世界遺産です/鐘楼 旧市街図 アドリア海沿岸を走り、トロギ―ルへ。小いさな島が陸地と橋で繋がって、周囲は城壁でかこまれている。中世そのままの旧市街には市庁舎や時計塔、数々の教会があり、島全体が世界遺産に登録されています/陸からはこの門を通り、城壁の旧市街に入ります
広場に面して15世紀ルネッサンス様式で建てられた市庁舎 聖ロブロ教会の鐘塔にのぼり町を眺めました。前中央に聖セバスチャンの時計塔が見えます 聖ロブロ大聖堂の扉に彫られたアダムとイブの像はクロアチアの宗教美術を代表する傑作です。左側の扉・イブ 南門と赤い屋根つきテラス(裁判などする)ロジャ。南門を出ると海が見えました トローギールに入る小さな橋。この先に城壁門があり、細い道の街がはじまります。小さい島でしたが小さい教会が多くあり、なんとなく落ち着きがありました
トロギールに入る小さな橋を渡り中に入りました。(午後の自由行動の時間に) その日は土曜日でした。何人かの方とあちこち歩いている時、賑やかな様子に何気なく中を覗き込んだら結婚の披露パーテイの最中で、入れ入れと招き入れられ・・披露パーテイに乱入して?撮った写真です。とても人なつこくてフレンドリーで、クロアチアの楽しい思い出ハプ二ングでした マーケット。左に並んでいるビンはオリーブオイルです。添乗員さんより‘地質や天候が関係してより良い実が採れるので、イタリア、フランス、スペインなど、その他の何処の国よりも美味しい!)とお聞きしました。野菜も豊富で、たまねぎ、ピーマン、きゅうり、トマト、きゃべつ・・・・。あと乾燥いちじくなどなど トローギールの夕暮れ
スプリット
アドリア海沿岸のスプリットは、クロアチアで第2の都市(世界遺産)で古代ローマ皇帝が造った1700年前の遺跡と、そこに現代の人々が溶け込んで生活している不思議な街です
スプリット市街図 ディオクレティァヌス宮殿を真上から見ると、漢字の田の字になっていて、これはローマ軍の陣営とそっくりな建て方だそうです。(さすが 軍人あがりの彼ならではです。とガイドさんの説明)/宮殿は、はじめ皇帝の霊廟として造られ、そして住居となり、そして大聖堂へと姿をかえた/宮殿のスフィンクス(宮殿に向かい左側にある)
<暮らし> すごいのは一般の人々が、ローマ時代の遺跡のなかで生活し、今の時代に溶け込んでいることです ナロドニ広場(4枚目) 何処へ行っても ブーゲンビリアの花がきれいに咲いていました
デイオクレティアヌス宮殿内の4人のコーラス。観光地ではよく見ますが、奇麗な声で快いハーモニーを聞かせていただきました(2007年) 宮殿内でアカぺラコーラスに出会い楽しませて頂きました。前の写真と同じ場所のようです。(偶然ゆりさんにお会いしたような・・・なんか嬉しい気分。2009年)/*13 宮殿の門を出ると要塞壁の周りにはマーケットがありました 宮殿を出て数分、するともうそこにアドリア海沿岸の素晴らしい景色がありました
スプリット → ドブロヴニク ドブロヴニク
ドブロヴ二クはクロアチア南端にあり、古くから海洋国家として栄え、独立を貫いてきた希少な街でもある

ドブロヴニク旧市街図

スルジ山から撮った旧市街(世界遺産)。碧い海とオレンジ色の屋根のコントラストが美しく、アドリア海の真珠と称される。/*01
スプリットからドブロヴニクまでは、国境を2度越える4時間のバスの旅。

その途中にあった、ボスニア.ヘルツェゴヴィナから流れてくる川・ネルトヴァ川により形成されたデルタ地帯のオレンジ畑。雄大な景色でした。/*10, *11, *12
小休憩したネイムの町は、クロアチアの長いアドリア海沿岸の内、わずか9km突き出た、ボス二ア.へルツェゴビナの領土です。(参:編集後記*08, *09

ちょっとスーパーに寄り、国境を越えてすぐストンの町でした。ストンはカキと塩で有名です。
要塞都市・ドブロヴニクの正門・ピレ門
ピレ門を入ると、海兵隊の行列に出会い、よい思い出を作ってくれました メインストリート・プラツァ通り。ネクタイはクロアチアが発祥の地でクロタイは有名です 右奥の赤いテントがタイを売るお店 石畳が磨かれたようにツルツルでした 反対側からのメイン・ストリート/*02, *03
城壁の上を景観を楽しみつつ、約一時間歩きました。日ざしは強く 途中で買って飲んだフレッシュなジュースで生きかえりました/市街を取り囲む城壁が出来たのは、街が誕生した8世紀ごろで、その後も拡張されつつ、16世紀にほぼ現在の姿になった/*04, *05, *06 白くまるいテントが可愛いらしい。

青い鳥さんより/
沢山の良く整理されたクロアチアの写真旅行記、あの街、あの景色、何かご一緒してるように楽しく拝見致しました。お電話いただいて後ちょっと忙しくPC開かず、その後ゆりさんとの見事な連携プレーでのお写真。私も昨年ゆりさんから”とても良いところ”とお聞きし行って来ました。クロアチアではヨーロッパ人の旅行者が多く私たちツアー仲間以外日本人と殆ど会わなかつたことは印象的でした。私はビデオを撮り、主要な所だけ載せましたのでお時間ある時ご覧いただけたらと思います。
http://www.hayaisa.com/kan_croatia.html


青い鳥さんへ/
拙い投稿でもお目に留めて下さり有難うがざいます。青い鳥さんや、ゆりさんが行かれたとお聞きして、私も是非にと行って参りました。クロアチアのアドリア海沿岸の旧い街まちは、遥かなる古代と中世の文化・歴史を語ってくれて、印象深いものでした。一度だけ日本人のツアーとすれ違いましたが・・/(フリージア)


貸切ボートに6人乗って、海に浮かぶ小島・ロクルム島をまわりました。島の東側はヌーディストで名高いそうで、ヌードの男性が岩場に沢山いました。日本では「無い光景」ですね。(載せたのは南東側でその写真ではありません) 遊覧も小一時間で終わりました。頬をなでる風がとても心地よく「もっと乗っていた〜い。」と思いました ひとりホテルつづきの海辺へ出て見ました。打ち寄せる波の音だけ。いままさに日没寸前で、少し遅かったようです/*07(フォトムービー)
最後のランチ ザグレブ
ザグレブはヨーロッパとアジアの十字路と呼ばれ、長くオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあり、その影響が色濃く残っている
ぶどう棚の屋根の下、ツァーでのみんな揃っての最後のランチ。風も爽やか/*20, *21 ザグレブ市街図 ドブロヴニク空港→
クロアチア航空→
首都ザグレブ着
カプトル地区にある聖母被昇天大聖堂(11世紀に建てられた) 中央に聖母マリア。ヨーロッパで5本の指に入ると云われる聖堂内のステンドグラス
ミロゴイ墓地:ヨーロッパで最も美しい墓地の一つ。アーチやモザイクの床が見事 (この下もお墓)。ユーゴスラビア時代の著名人の墓も多い グラデツ地区から、ゆるやかな石畳の坂を歩いてカプトル地区へ 石の門:1731年の大火災で城壁と東門(石の門)周辺が焼焼け落ちた際、灰の中から無傷で見付かったとされるマリア像が掲げてある 今は首相官邸:広場を挟んで向かい合って建っている 会議の建物:クロアチアの国旗とEUの旗
聖マルコ教会:旧市街の中心の広場にある15世紀の小さな教会。クロアチア王国、ザグレブ市、スラヴォニア地方の紋章モザイクが特徴 2007年は修復中/*24 カトリーナ教会:「ここで挙式したい」と若者が憧れる教会とか ロトルシュチャック塔(見張り塔) 共和国広場、別名イェラチッチ広場。市内を走るトラム(路面電車)/*23
追加画像 by ヨーデルさん
ヨーデルさんの旅程は南から北上し、フリージアさん・ゆりさんとは逆のコースです
上の "*00" からも表示します / スライドショー(中画面800×600、大画面1200×900)
Y01 Y02 Y03 Y04 Y05 Y06 Y07 Y08
ドブロヴニク(Y07はフォトムービーです) 国境
Y09 Y10 Y11 Y12 Y13 Y14 Y15 Y16
NEUM ネイム→スプリット スプリット カルカ川 プリトヴィツェ
Y17 Y18 Y19 Y20 Y21 Y22 Y23 Y24
プリトヴィツェ ラストケ村 トゥラニ村 ザグレブ
エピローグ
epilog(ス), epilog(ク), Epilog(独), epilogo(伊), epilogue(英)
<ザグレブの横道>(ゆりさん)
アドレア海の朝:とても気持ちのいい朝でした。昨夜の手長エビの美味しさが忘れられません。
  【・・・と、ここまでは良かったのですが・・・】
ツァーの人全員(13名)が迷子になりました。添乗員さんの言ったトラムの番号違いで、私は一人廃墟になった工場のようなところに行ってしまい、タクシーもなし。トラムの中の人たちは英語はダメ。心細くなっていた時、若い女性が来て、トラムからおり、20分ぐらい二人で歩き、その間単語だけの会話。相手の女性も少しだけ、でもザグレブの駅の近くからホテルに行くトラムに乗ることができ、彼女にきちんとお礼の挨拶も出来ないまま、・・・ ハプニングこそ後の良き想い出になります。クロアチアの若い人の心意気を思うと今まで、大変でしたが、これからは平和で発展してゆくことと心から思いました。添乗員さんの気持ち、さぞ心配だったでしょう。

プリトヴィツェ湖群国立公園で見つけた花
<スロヴェニア・クロアチアを旅して>(フリージアさん)
【その1】 ホテルは、オパティアを除き、大変満足。食事の魚介類も新鮮で美味しかった。特筆は*スカンピ(手長えび)*さいころにしたビーフの入ったスープ*海の幸スパゲティなど/肉類・乳製品・野菜・果物、干しいちじく・オリーブオイルなども豊富。まずかったのは、焼きすぎで分量の多いビーフステーキくらいか。

【その2】 スロヴェニアもクロアチアも、訪れるまでは私の中ではただの遠い国でした。深い森とロマンテックな湖(スロヴェニア)。エメラルドやコバルトブルー色した湖群とそこに流れ落ちる美しい滝、洞窟、紺碧のアドリア海に映える可愛い赤い屋根の風景。古代・中世の街の歴史の痕跡と、その中で今を生きる人々。 訪れているうちに、美しく交通の要所であるが故に、入れ替わり他国に支配されたのかと思い、多難な歴史を潜り抜けて来たスロヴェニア・クロアチアの国のことを、感慨深く想った旅でした。

ヴェネチアの品々があるザグレブのお店
ゆりさんが、この「談話室」の旅に同行してくれたので、心強く、楽しさも増しましました事お礼申し上げます。/楓さん この投稿がこんなに長くなると予期出来なくて・・コメントを頂き、嬉しく元気が出ました。/青い鳥さん 新スタイルで ありがとう/(フリージア)
('09.07.19 初掲/'09.09.23 画像追加)



編集後記
 クロアチアやその周辺の国々は、アドリア海を挟みイタリアのすぐ東に位置するのだから、自然にも恵まれ、食べ物も旨い別天地だろう、と単純に考えていた。事実それに違いは無さそうだ。
 しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナは僅か9Kmの海岸線を持つ内陸の国である事を、今回初めて知った。その場所は、サラエボの南南西約200Kmの所にある。その形状は、余りにも人為的で,、クロアチアを南北に切り裂いている。今回の100枚余の写真の中で、「9Kmの海岸線」にある唯一の集落"NEUM"と思われる写真が1枚だけある。地図と写真を対比しつつ、両国の思いの深さを、僅かに覗いた気がする。(編集子)
画像クリックで、詳細な別マップを表示します。

(Wikipedia '09.07.19より)