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昭和51年、国の重要無形民俗文化財に指定された「奥三河花祭り」
2月の土曜日の夜は、新城市湯谷へ中設楽の部落が、花祭りに来ることを聞き、久し振りに3度目の見学をしました。
テホヘテホヘの掛け声が暗くなった山間に響く、神と民がひとつになり、生命の蘇生をする・・これが奥三河の花祭りです。古い伝統文化を守り通してきた魅力は、何処にあるのでしょうか?その文献がハッキリしているのは、江戸時代初期らしいが、鎌倉、室町時代にも、その足跡が見られるといわれる。
修験者によって天竜川水系にのみ伝えられた奇祭です。 |
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白蓋(びゃっけ)
白蓋といわれる美しい紙製の天蓋が吊るし下げられる。降臨して神はこの白蓋に宿る。切絵はゼザチとよばれ、各部落でいろいろ異なる。中設楽の部落は白一色であるが、色彩をつける部落もある。
湯釜
神の宿る天蓋の下の湯釜で、お湯を立てて神をもてなし、舞を舞って神との交遊をする。その準備が出来た場面です。 |
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脇に舞台があり、笛や太鼓を演奏する神官の方々です。始ってしまうと目立たないのですが、息つく暇も無く、この夜も2時間の演奏を続けました。
四ツ舞
四ツの舞とよばれ、小学生の高学年の子ども達4人が舞う。「地固めの舞」と同じで、舞の所作は、地を固める動作「へんばい」と見られた。この他、稚児の舞は、4、5歳〜小学生低学年が舞うのですが、部落、地区により異なる。 |
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朝鬼(大国主命)
茂吉鬼と呼ばれる白装束の鬼。
鬼そのものが神であり角が無い部落と、神の角は切り落としてない部落もあり、地区の歴史がそれぞれ息づいている。解釈の仕方がそれぞれ興味深いものがあります。
天の岩戸開き「神々の踊り」
巫女の伴として「おかめ」登場。テホヘテホヘと見物人も輪の中に入り踊りだし、祭りは最高潮に盛り上がる。 |
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「神々の踊り」
「みそ小僧」(黒面、花垂らし」ともいわれ、黒い顔をしてユーモアがあり道化的な仕草が、見物者の笑いを呼び、老若男女、子ども達も輪の中に入り一緒に踊り出す。
誰でもその場で踊れるので、時とともに我も我もと榊の葉を手に手に、テホヘテホヘと無心に踊り出すのです。 |
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赤鬼、青鬼の掛け合い。
舞う姿は、悪霊を払い、五穀豊穣、無病息災、を祈願する神事と芸能が一体化した祭りと解釈すれば、分り易いとおもいました。
こうして夜が更けてゆく。最後の頃は見ている人も大勢踊りだし、テホヘテホヘは止まる事をしらないような雰囲気でした。
奥三河の地区では、朝まで祭りをするところもありますが、ここでは夜10時に火がおとされました。 |
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「なぜ冬にするのか?」
草木が枯れ、陽の光が弱くなり大地が死んでゆく。人間の体、魂の最も衰える冬に、悪霊を鎮め神々の降臨を仰ぎ大地や生命の蘇生を願う。冬に生まれ変わり花の春を迎える。「花祭り」の命名は、いろいろ有り、修験者が「仮のあの世は花が咲き乱れている浄土だ」との説、また昭和初期に、研究者が付けたという説があるそうです。
(参考:三遠南信情報誌アミ12号)
花祭りを見て
この祭りから私は、命の蘇生について関心をもちました。形に残るものは無いが、テホヘテホヘの掛け声に、理屈でない生きる喜びが神と一体になる、それは素朴な祈りであり、生きる原点でもある。土のにおい、火の温もり、湯(水)煙りのする祭りを見て、伝統文化の生と美の感受性を、もう一度問う機会を頂いたような気がしました。 この次は、火を囲みテホヘテホヘと歌いながら、踊りの輪の中へ入ってみよう!まず祭りと一体になることに意味があることに気がついた夜でした。
(写真が2、3枚では語りきれなくて、つい長くなりましたこと、ご無礼致しました) |
北設楽郡の「花祭り」は、11月〜3月に行われています。本年末〜来年にかけての日程を参考までに示します。 →
小生は40年以上前、北設楽郡の民俗音楽(盆踊り唄、わらべ唄など)の調査をしていて、花祭りにも出会いました。当時の北設楽郡は3町3村で、あちこちで花祭りが盛んに行われていました。町村合併で、現在は東栄町(とうえいちょう)・設楽町(したらちょう)・豊根村(とよねむら)の2町1村に変わり、東栄町と豊根村で行われているようです。以前は津具村(現在は設楽町に合併)でも盛んでしたが、現在は「現地」開催の情報は見あたりません。上記に紹介されているものは、旧津具村の方々の「出張花祭り」かと推測(間違っていたら申し訳ない)しました。(編集子
'09.10.10) |
花祭りの日程
東栄町 / 豊根村 |
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<即日、投稿者より次のような返信を頂きました>
「出前花祭り、出張花祭り」・・・その通りです。湯谷の観光客の為に、奥まで行くのは大変なので、、一晩中行う祭りをダイジェストに3時間位にまとめて公開します。ここへ来る地区も、交替するそうです。湯谷近辺の人々は、ここで毎年楽しむ方もみえて、踊りの輪の中へはいり盛り上がっていました。
私は過去、宿泊で東栄ドームへ2度行きました。ここへも毎年交替で地区から見えます。地区地区により、多少の相違があり、それもまた興味有る見どころでした。 |
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