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旅の参考書
兵庫県+α:大楠公を訪ねる旅
(資料提供:平松政美さん)
楠木正成(?~1336)河内の土豪で後醍醐天皇の倒幕活動に参加した。
 『太平記』は正成を、その登場・出自とも神秘的要素を持たせ描いている。後醍醐天皇の夢想によって登場。またその出自も神秘的で、彼の母が毘沙門天に百日間参詣し、夢想により生まれたとされている。その幼名を「多聞」と名付けられた。智・仁・勇の三徳を備える非常な人格者で、聖人とも仰がれた武将であった。
←湊川神社
 楠木正成公を主神とし、息子の楠木正行(まさつら)(小楠公)及び湊川の戦で殉職した楠木正季(まさすえ)以下16名柱を祀る。

楠木正成像→
 湊川公園にある、馬上に鎧兜姿の勇壮な楠木正成像。
←黄門像 
 湊川神社には、徳川光圀公(水戸黄門)みずから表面の「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字を書いた墓碑の建立によって、大楠公の御盛徳は大いに宣揚され、幕末勤皇思想の発展を助け、明治維新へ力強い精神的指導力となった。

桜井の別れ→
 大楠公は天皇の命令により決死の覚悟で兵庫ヘ向かう途中、桜井駅(現在の大阪府三島郡島本町)で小楠公に「自分は死ぬが、その後は父に代わって天皇を助け最後まで守りつくすように」と、悟し小楠公を故郷の河内に帰した。この時の場面を歌ったのが「青葉茂れる桜井の・・・」である。台座の「滅私奉公」は近衛文麿の書による。
←如意輪堂
 楠木正行出陣に際し、吉野山の後醍醐天皇の御陵に参って、今度の戦に決死の覚悟であり一族・郎党143名の名前を記した過去帳と自らの唐の遺髪を奉納した。その際、如意輪堂の板壁に矢尻で刻んだといわれる辞世の句がのこっている。

「かへらじと かねて思へば梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」
湊川神社へのアクセス(神社HPより借用編集)
【電車でお越しになる場合】
■JR神戸線 「神戸駅」から北へ徒歩約3分
■阪急・阪神・山陽各電車は、「高速神戸駅」すぐ
■市営地下鉄 山手線「大倉山駅」から南へ徒歩約3分
■市営地下鉄海岸線 「ハーバーランド駅」より北へ徒歩約5分

【車でお越しになる場合】
■JR新幹線「新神戸駅」より車で約10分
■大阪方面より阪神高速3号神戸線 京橋ランプ~国道2号線を西へ約10分
■姫路方面より阪神高速3号神戸線 柳原ランプ~国道2号線を東へ約10分

【お問合わせ先】
兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1
TEL:078(371)0001 FAX:078(371)1920

<編集子の蛇足>

楠木正成(まさしげ)は、明治以降は「大楠公」とも呼ばれています。そこで、正成等を祭る湊川(みなとがわ)神社は、地元では「楠公(なんこう)さん」とも愛称され、親しまれています。

正成等の性は、古くは「楠」と書かれたようですが、ここでは「楠木」の現代表記に統一しました。

如意輪寺は湊川神社よりやや離れます(奈良県・吉野)。/地図が参考表示可能です。
('09.04.08 初掲)