旅の参考書 |
愛知県:田口鉄道跡を訪ねて
(2009/01/29 リボンさん の談話室投稿を再掲載します) |
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田口鉄道の跡を辿って行って来ました。最初は宮内省御用林の運搬用として敷かれ、昭和4年〜43年まで運行され廃線となりました。中一年時には遠足で田口線に乗って鳳来寺山へ行った記憶があります。 |
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起点の本長篠駅では元国鉄マンから声を掛けられ当時の貨車の入れ替えなどの話をして下さいました。未だ橋脚が当時のまま残っているのを見つけました。 |
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大草駅辺りで電気機関車を渥美線へ移譲した為に整備士として豊橋へ通ったと言う元国鉄マンの技術屋さんにも会い当時の貴重な資料が沢山あるからと次会の約束をしてくれました。豊川を利用した水車で、周囲の杉の葉を叩いて線香を作っていたと言う建物がありました。此処が最古だろうとの事です。 |
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双瀬(ならぜ)のトンネルですがどのトンネルも狭くてこんなに小さくて電車が通ったのだろうかと思うほどです。線路跡は殆ど道路になっていて桜が植えてあります。きっと春には桜街道で綺麗だと思われます。 |
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終点田口駅では愛好家の方が居て叉ゝ詳しいお話を聴く事が出来ました。哀しいほど小さい駅舎です。設楽ダム決定で私達と同じく、沈む前の最後の姿を見届けようと来ていました。もうボーリング調査や工事関係の車両があり、間もなく入れなくなるとの事。素晴らしい偶然の出会いが重なり有意義な一日でした。 |
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アミーチさんの返信投稿より |
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←昭和9年頃の「三河田口駅」です。開通は昭和4年、飯田線本長篠駅〜三河田口駅終点。当初は8駅、24のトンネル、橋梁17ヶ所の難工事であったそうです。(写真:三遠南信情報誌アミ10号より)
平成14年当時の三河田口駅(アミ9号より)→ |
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田口線は、昭和4年5月22日の開業以来、奥三河地域の生活の足として、また木材を運ぶための貨物線として重要な役割を果たしてきました。幾多の試練を乗り越え運行を続けた田口線ですが、昭和30年代中頃からの過疎化やトラックの利用による貨物の減少により、その経営は厳しい状況に追い込まれていきます。そして昭和40年の台風24号の被害により、清崎〜三河田口間は休止に追い込まれ、その後再開の目処も立たないまま昭和43年8月31日のさよなら列車の運行を最後に、40年の歴史にピリオドを打つことになります。・・・三河田口駅舎などは朽ち果て、いつ崩れてもおかしくない状況にあり、設楽ダム建設後には、駅舎や大久賀多第一トンネルも湖底に沈み、二度と見ることが出来なくなるでしょう。(←「ほの国」HPより)/地図 本長篠〜三河田口(現在の設楽町役場付近) |