「若気の至り」
7組担任 鈴 木    弘
 昭和48年3月卒業以来、今年でもう30年経つと聞き、当時28才だったので私も58才になったなあ、早いなあと改めて思い、創立80周年の時に発刊された同窓会名簿を開いてみました。
 まず、私が在任中勤務していた先生方はどうしているか、現在もご健在だろうかと思い旧職員欄を見ました。まだご健在な方、もう物故者になられた方のこと、あるいはその当時の職場の状況のことなどが脳裏をかすめました。
 他方、卒業生、特に昭和48年3月卒業者名簿に目をやると、多方面で活躍している皆さんの様が目に浮かぶようですし、物故となっている方も少なくほっとしていると同時に30年前の皆さんの学校生活が昨日のように思い出されました。例えば、皆さんが生徒会を中心としてファイヤーストームをファイヤーフェスティバルとして復活し感動的に成功させたこと、当時としては非常に画期的な卒業アルバルを企画し完成させたこと、また秋の遠足のあり方を変えたことなどです。やはり、これらを実現できたのは皆さんの要求の強さもあったわけですが、それらを実現させたいという教師達の意欲、団結力の強さだったと思います。私もその一翼を担わせていただき、先輩の先生方から「若気の至り」と揶揄されたこともありました。
 しかし、この「若気の至り」という言葉が最近教育の現場では死語になりつつある、もっと「若さをぶつければなあ」もっと「自己を主張すればなあ」もっと「権利を要求すればなあ」と思う程歯痒さを感じています。
皆さんも社会人として脂が乗りきった年令ですが、妥協することなくいつまでも若さをもってチャレンジして下さい。私もあと2年で停年となりますが、まだまだ「若気の至り」でおし通していきたいと思っています。

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