国府高校3年間の想い
昭和48年度卒業 長坂幸久
けして真面目な学生ではなかった為、学校の勉強は兎も角 生き方への指針となった昭和47年 3年の夏 友人と2人の北海道へ約一ヶ月の旅行が一番の思い出となりました。
夜行列車に乗り上野で乗り換え 青函連絡船に乗り 函館に着いた。
イカそうめんを目の前で包丁で割き その旨さはこんな旨いものがこの世にあるのか・・・。 礼文島に渡り一面の自然の花畑に感動し 稚内でうにどんぶりなるものを食し こんなに旨いものが・・・。
食べてばかりいたのでお金も底をつきそうになり電車の中で仲良くなった 斜里の女の子の家に転がり込み 2泊し汚い洗濯物をすべて洗ってもらい、そのお礼として畑仕事を手伝っていた時の お父さんとの会話が一番印象に残りました。
戦前に静岡から北海道に渡り 開墾をしていた当時 こんな所が畑になるのかと途方にくれた日々 機械もない 牛は一頭で 最終的には直線で約2キロ幅500メートルの畑を作った。 冬の雪と寒さ 大きな木の根っ子 石ころだらけの場所 戦いの連続 その上作物はうまく出来ず 売り物にならない。 正念場だったその時 ここで逃げ出したら何も残らない。 絶対に成功してやると土壌改良を重ねた結果 やっと今(昭和47年)やっと仕事も順調になってきた。
淡々と話を聞きながら 俺は何か苦労したことがあるのか 努力したことはあるのか 必死になったことがあるのか 何もなかった。 自分の親も同じ苦労をしている事に気が付いた。
夜 畑で取れたジャガイモを食べながら 普段はほんとに無口な人が重い口を開き 『続けること 諦めないこと 慌てないこと 怠らないこと』この部分だけが今でも人生の教訓として私の中に生きている。