変な駅間歩き
09年1月11日 三河大塚→愛知御津 |
「夢のお城」はやっぱり「幼稚園」か「保育園」のようでした。 |
だそうです。ワタシにメールをいただければ「連絡先」を回答 させていただきます。 → → → → → |
「まっすぐ」です。 |
こういう「コメント」に困るような写真は撮らない ほうが良いようです。 |
「天気予報」は「曇りのち晴れ」です。 |
「ハウス」と「木」が並んでます。 |
「しいたけ」あたりの栽培だと思いますが.......ちがうか!? |
「左側」です。「東海道本線」が見えます。 |
「電車」も通ります。 |
「鉄塔」です。なぜか「見上げて」しまいます。 |
「のどかな田園風景?」みたいな。 |
「線路」のそばにやってきました。 |
「貨物列車」がやってきます。 |
「コンテナ」が走っていきます。 |
「青空」に映える"JR"タイプの「架線柱」。 |
色々やってきます。 |
「行き先」はこんな感じです。 |
うん?「いきどまり」のようです。 左の「架道橋」をくぐるしかないようです。 |
それでは....... |
「くぐって」すぐ右です。 「障害物」は「川」でした。 |
「川の堤防」に上がったついでに「橋」までここを歩いていくことにしました。 |
左は「御津 (みと) 山」です。 「御津町」のどこからでも見るコトができます。 |
「橋」に着きました。 |
「太陽」「とんび」「御津山」「お寺」と例の「シンボルマーク」が書かれている ようです。 |
通称「御津バイパス」が見えてきました。 もう「駅」は近いです。 |
「スズメ」さんたちがお出迎えです。 |
「御津バイパス」をくぐります。 |
多少「都市化 (笑) 」してきました。「駅」はすぐそこです。 |
「検査車」でしょうか?よくここに「留置」されています。 |
この先の「踏切」ですが「御油踏切」と言います。 その昔「東海道本線」開通当時、この駅は「御油」と言いました。 その頃の「名残り」だと思われます。 「名古屋電気鉄道 (現在の名鉄) 」の「名古屋本線」開通以前の話です。 「東海道本線」の駅は「豊橋」→「御油」→「蒲郡」→「岡崎」でした。「西小坂井」も 「三河大塚」も「三河三谷」もありませんでした。 やがて「名古屋電気鉄道 :名古屋本線」に「御油」駅ができたとき、こちらの「御油」 駅は「愛知御津」に改名したようです。 |
「御津町西方商店街」です。ここをわたると「駅」までまっすぐです。 |
「愛知御津」駅です。右は「上りホーム」です。 |
今も残る「豊川稲荷」の「遥拝所 」です。 な〜んにもなかった当時、ここに「御油」駅がつくられたのは「豊川稲荷」への アクセスのためだったようです。 「西方」の元のスペルは「西潟」、つまり当時「御津エリア」の中心部だった 「佐脇村」等から見て「西の海岸」という意味です。したがって「読み」は 「にしかた」ではなく「にしがた」です。 「遥拝所」とはカンタンに言えば「出張所」のようなものです。「参拝客」の中には、 ここで「拝んで」「豊川稲荷」に「行ったコトにする」などというズボラなひともいた ようです。 ---以下ワタシのおばぁちゃんの言葉--- 「参拝客」目当ての「車夫」「馬丁」(現代のタクシー)「駄賃引き」(運送業) 「馬喰 (ばくろう )」が集まる。 それを目当ての「飯屋」「飲み屋」「芸者屋」「置屋」「あいまい宿」ができる。 「商店街」ができる、「映画館」ができるってなワケで「西方」なんてのは ロクなとこじゃないだよ。 --- 今でも「古い建物」などに、ほんの少し「当時のおもかげ」を見ることができます。 |
「愛知御津」駅に着きました。 |
「駅前」はこんな感じです。 |
「駅前通り」です。 |