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中東:ヨルダン
(資料提供:ゆりさん/2009年10月)
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スライドショー・ヨルダン48枚(中画面:1024×768)
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10月13日から中東にドバイ経由で アンマンに入り、 13日間 後泊いれ14日間の旅をいたしてきました。砂漠の遺跡、古代文明ゆかりの地を訪れ、沢山の遺跡を見ました。
出国は関空・エミレーツ航空会社で エコノミーでも30キロまで荷物許可されますので安心でした。
関空〜ドバイ〜アンマン
ドバイ空港 ドバイ空撮 アンマン空港 詳細地図
1.経由のドバイ空港/2.バブルがはじけても、お金持ち。免税店も広い。/3.機内から、かすかに見える、かの有名なホテル。ヤシの樹の形に造った島も見ることができましたが、カメラで写すことが出来ず残念でした。4.ヨルダン到着。アンマンの空港です、アンマンというと 私はあの赤軍のことを思い出しました。/5.カラー地図ではありませんが、詳細部分まで見られます(関空・ドバイ10時間30分、時差−5時間/ドバイ・アンマン2時間55分、時差−1時間)
ヨルダン1:ネボ山
モーゼがエジプト王の迫害をのがれ、ネボ山を終焉の地とした。モーゼはマダバの西にあるネボ山で「あれが 約束の地だ」と率いてきた民にパレスチナに向かうよう促し、自身は山上からそれ見守 ったとされている。
ネボ山の入り口 ネボ山のモニュメント モーゼの墓。山頂からの眺めもよく死海も見えました モーゼを記念した教会が4世紀にはたてられたとされており、現在のフランシスコ修道会の教会内部にその遺構が残されている 天の神まで届くようにとイタリア人が建てた蛇がからむ杖
(フリージアさんより) ゆりさん 中東の旅から お帰りなさい。 何しろ遠い国なので、訪れるのは簡単ではありませんが、歴史遺産の宝庫、砂漠や、赤い岩山の不思議な自然美、イスラムとユダヤなど等、旅する者を別世界へと誘ってくれますね。懐かしい旅(1999の11月)を思い出し、もう一度楽しませて頂く事が出来、よろこんでいます。当時の写真1枚投稿します。
地図のモザイク (返信:フリージアさん) (ファーマーさんより) ゆりさん ヨルダン、レバノン、シリアという中東の国は、「油」と「危険」というイメージしかありませんでした。このような国にも歴史的な遺産が沢山あることを、初めて知りました。 少しづつ紹介して下さい。(頭がついていけるように・・・)/フリージアさん 10年も前に、こんな遠い国を観光されたとは、ビックリです。 よく見ると、この写真の左下にフリージアさんが写っていますね。
1.聖ジョージ教会のモザイク1。ギリシャ正教で床には6世紀のパレスチナの地図がモザイクで描かれて、地図はところどころ欠けているが、ナイル川や死海、カラクやハママート・マインの温泉なども 見え、また死海から 魚があわてて逃げるところなどあって、ユーモラスで、タイル200万ピース以上で描かれている/2.聖ジヨージ教会のモザイク2/3.聖ジョージ教会と内部のモザイク地図を見る人々
ヨルダン2:ペトラ、エド・ディル修道院
ペトラ エル・カズネ シーク 遠くまで来たものです! エド・ディル入口
1.ナバタイ人の都市であったぺトラ。ぺトラは2000年以上も前からアラビア半島からやってきた遊牧民のナバタイ人やベドウィンによって栄えた中継都市。ワディ・ムーサを源にした川が、険しい渓谷をうがってワディ・アラバへと流れるその入り口に位置し、商隊にそのルートを通行させることでさかえていた/2.ぺトラ遺跡は1・5キロのシークという、水の浸食作用によって、削られた崖の谷間の道を通りぬけ、目の前にエル・カズネが現れた時は、予期していたことですが、とても 感激。シークの途中 ところ、どころに 神様をまつり、当時の隊商たちの無事を祈る心が わかりました。イギリスのビクトリア時代の詩人が「時の刻みと同じくらい古いバラの色の都市」とうたったように1日に50色ものバラ色を見せるといわれ私達も オープンまえに入り 日の出の遺跡を目に焼き付けました。 エル・カズネをエル・ハズネとも呼びます/3.1.5キロのシーク。 入り口からシークまでが1.5キロ、全体で 約3キロあります/4.こんな光景、周りの景色を見るにつけ、とても遠くに来たと感じました/5.今からが大変でした、ぺトラ遺跡の奥の院、山奥にある修道院エド.ディルの入り口
岩山を登る 王家の墓 エド・ディル修道院 最後まで自分の足で登る (返信:フリージアさん)
1.岩山で往復 2時間半 気温いつもの年より 10度も高く 35度以上になっていたとか 私も 山から降りた時は 足が進まず こんなことは 初めての経験 ビックリしました。次の観光の教会は パスし ベドウィンのロバに乗って、それから りんごを運ぶ乗用車に乗り換え 昼食のホテルまできました。山に登らない人、途中までの人、登って降りる人、3コースあって 私は最後のコースにしたのですが 最終的には一人だけでロバに30分以上乗り 雄大な景色を眺め はじめは 道なきところを 目を瞑り ベドウィンは眠るなと 大声出しますが 寝ていないことを話し、本当は とてもやさしい人で 私をストロング、ストロングと励ましてくれ、彼の気持ちがよく わかってきて 怖くなく、よい体験をしたと 後からツワーの人に 話しました。丁度 カメラが出せなく 証拠が無く 残念です。ロバから乗用車、後ろの席には りんごが一杯積んであって 一つ私にドライバーがくれました。ロバと車の手配 チップも 添乗員さんが手配してくれ 思いがけない体験をさせてもらいました/2.巨大な岩窟墓が並ぶ王家の墓(エド・ディルの近く)/3.ペトラの奥の院エド・ディル修道院。これより一段高いところがあって、そこが頂上。この修道院の前は広場で、その向こうにカフェがありました、登ってくる途中も 現地人がお土産を所々で売っておりましたが、登るのに一生懸命で/4.エド・ディルから見た風景、ここを登ってきました。前にも書きしたが 往復2時間半!/5.此処はゆりさんと同じ岩石道を登り、たどり着いた山頂のように思います。シクまで小ぶりの馬に揺られて。歩いて またロバに乗り、ロバの背はくにゃくにゃと乗りぬくくて、「歩きたいよ〜」と思った程でした。険しい道でしたが、登りきった後は、雄大な景色を楽しみ、達成感を味わいましたので、ゆりさんの気持ちに同感致します。ベドウィンは誇り高く、優しい人達とも聞きました、又その様に思いました。登った山頂で、ベドウィンの人と居合わせました(フリージアさん)
ヨルダン3:ワディラム
ワディラム 赤色の砂漠 「月の谷」 湧き水 木陰
1.ベドウィンが暮らすワディラム。第一次世界大戦時、イギリス人将校ロレンスがベドウィンたちを統率してトルコ軍と戦う活躍を描いた映画「アラビアのロレンス」のロケ地/2.赤い色の砂漠、4wD車で案内。ものすごいスピードでした/3.遠くにベドウィンのテントが見えます。「月の谷」とも言われております/4.湧き水の出ているところ。ベドウィンや隊商の人たちが利用したことでしょう/5.木陰のお土産やさん
6.砂が溜まり。巨大な砂山が出来る/7.途中からですが、ゆりさんが、投稿をと言って下さったので、試みてみます。何せ、デジタルカメラもない時だったので、適当な写真が何枚あるでしょうか。砂漠の手段はラクダか、四輪駆動車(見た車は全て日本製)でした。(フリージアさん)
砂溜まり (返信:フリージアさん)
ヨルダン4:ナイト・ペトラ
ナイト・ペトラ 遺跡の前 日本と同じ? 観光客にも人気
1.1500個ものろうそくに照らし出されるぺトラ。幻想的な遺跡の前でフルートと現地楽器、アラブ語で静かに言い聞かせるようなお話。遺跡入口〜シークの中〜ぺトラ遺跡前広場/2.遺跡前/3.ろうそくを和紙のようなもので包み、日本のことを思い出させてくれました/4.観光客に人気で、週3回するそうです
ヨルダン5:死海
地中海の水位はここ 地中海・死海の水位差390m 死海で浮遊体験 (返信:フリージアさん)
死海の水は塩分と鉱分濃度が極端に濃い。水がどこにも流れ出ず、太陽の熱で水分が蒸発して凝縮するからだと考えられている。30パーセント塩分で、海に入ってゆくと足の先から浮いてしまい、目に海水がつくと凄く痛く、すぐミネラル・ウオーターで洗わないと大変。また海水の中から10分程度で出ないと体の水分がなくなって干からびてしまうそうです。でも波うちぎわで、泥パックを体にし、皆さんと大声を出して童心にかえりました。 イスラエル側から見た死海。死海の向こう(編集子注:東方)に見えるのはヨルダン
ヨルダン6:ジェラシュの遺跡
ジェラシュ遺跡地図(詳細に拡大表示可能)

ジェラシュはアンマンの北50キロに位置する。ローマ人とアラブ人によって造られたローマ都市の中でも華麗、かつ壮大で、ヨルダンではぺトラ遺跡に次ぐものらしく、2000年前とそれほど変わっていない姿を見せてくれました。ローマ人が来る前よりジェラシュ人の集落がありましたが、本格的に歴史のなかにあらわれるようになったのは、アレキサンダー大王がこの地を襲った紀元前332年ごろからであります。10の都市からなる連合デカポリスの一つ
南門(メインゲート) 競馬、戦車競技場 ツァー最若年者と 遺跡の列柱
南劇場 フォーラム 柱群 北門 神殿
1.門の前のスペースは 市場としてつかわれ、賑やかだったことでしょう/2,3.ベン・ハーの戦車競技は、ここでロケされたそうです。あのスバラシイ シーンがよみがえってきました/4.一番お年の多い方は85歳女性で一人参加。参加平均年齢は私より3〜4歳若いと思います。17名で4名ご夫婦、13名一人旅、その内2名が男性、女性11名。ここにも女性パワーが出ておりました/6.非常に音響がよく、現地ガイドさん、添乗員さんの二人が美声を聞かせてくれました/7.人々の集会が行われていた/8.耐震構造に出来ていたが、幾度かの地震のため上部はこわれ、今は、古代の賑やかさを偲ぶだけです/9.水路も完備しており、教会、浴場も沢山あって、人口はどの位だったのか聞き損じました。ローマ帝国が国教をキリスト教と定めると、いくつかの神殿は教会に転用された。ジェラシュはその後ビザンチン帝国の傘のもと300年の繁栄を謳歌した/10.沢山ある神殿の一つ
('09.12.01 初掲) / 次ページ→