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旅の参考書
中東:シリア(続)
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スライドショー・シリア(続)80枚(中画面:1024×768)
(資料提供:ゆりさん/2009年10月)
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再度シリアに入国 / ホムス
ハーリド・イブン・アリ・ワリッド・モスク。
鈍色のドーム屋根と細身のミナレットが印象深い。636年にイスラム教をこの地にもたらした際軍司令官のものとされる墓があり、モスクの名もそこからきている。このモスクも、朝、人が多く来る前に来ました。
子供達にデジカメで写してくれといわれ、とりかこまれ、一枚パチリ。写した後の確認がまた大変。携帯は使っているが まだ デジカメは珍しいようだ。
このモスクもマントのような物をきる、今度は紺色でしたので 鼠には 見えませんでした。
モスク内はカメラ禁止。
ホムスの遺跡
アパメア遺跡
紀元前3世紀の初めに建設された街。セレウコウ朝時代である、6世紀から7世紀にかけて、度重なるペルシャの侵攻と地震により 衰退していった。1.8キロにも及ぶ列柱通りは壮大で シリア特有の溝のある柱ものこっていました。
列柱の真中にある塔
列柱通り
日差しが強く、乾燥しており、花までもこのような姿。アザミかしら?
アパメア遺跡
アバメア遺跡の素晴らしさ
ハマ
ハマの水車
ビザンチン時代には すでにこの地で水車が回っていた、ここの水車はほとんど木製で、バスケットから流れる水を受け止め、農地へと導く水路がよりそっている。
ギネス・ブックにものっている、最大の水車は、アル・モハンメディーエという名前、その直径は20メートル以上。
かっては、ハマには120個近くもの水車がありましたが、現在は16個しか残っておりません。
名物にうまいもの無しの言葉どうり、誰も 一口で食べなかった、ハマ・ロール。
やはり 水があるのでステキな横道もありました。
楽しい家。
おじいさんが つくった織物を売っているお店。
ハマは横道が多く 散策するのにはよく、楽しかったです〜
アレッポ
アレッポは、ダマスカスに次ぐシリアの第2の都市。紀元前2000年にはアラブ人の王国ヤムハドの首都として栄えたことがある。紀元前2400年ごろにはメソポタミアのシュメールやエジプトと交易を行う王国ができ、以後アレッポは一貫して、東西と南北を結ぶ十字路にある交易の要衡としての歴史をきざんできた。
アレッポのホテルの窓より。
オスマントルコ時代に建てられた時計台
そびえ立つアレッポ城。
深さ22メートルの堀に囲まれ、周囲が約2.5キロの要塞。紀元前10世紀に神殿が12世紀に十字軍が侵攻してきた時代に要塞化されていった。北シリア一の難攻不落の要塞として有名になった。
アレッポ城/門を入って。
城の門は16世紀に改修されたものだが、カミソリの刃1枚も入らないほどの見事な石組みと、均整の取れた完璧な美しさをみせていた。
いよいよ 入城
城内は 非常に 広く カフェもあり
十字軍に備え 色々と戦う作戦。
天井から熱い油を流す天井の穴。姫路城などにもある 矢を放すためのすき間。国は違えど考えは同じ。
幾つもこのような くぐりぬけがあり、各門に印があり違っておりました。
城の上
城内
見張りばんのいた部屋
王の部屋、木工細工で 美しい
劇場。
城内には劇場もモスクもあり、博物館もありました。
アレッポ2
アレッポのスーク。/ツワー仲間の東京の人が アレッポの石鹸を頼まれたからと、石鹸買いにスークに行きました、この石鹸は帰国前夜の不思議発見でも放映されたとのこと、何年物というほどで、15年ものを探しましたが無く、石鹸屋さんを回りましたが 8年ものが最高で、色が濃縮するせいか 年を重ねるごとに濃くなっておりました、泡立ちが いいです、エステでつかわれているそうです。
アレッポのスーク2
ピスタチオ
この赤いのが 美味しいとのこと。
ピスタチオの樹
アレッポ3
スークの近くに 隊商の館があり見に行きました。隊商の利用したキャラバンサライ・・・・隊商宿の門。17世紀に造られたアル・ワジルとよばれる代表的なキャラバンサライ。
キャラバンサライの内部1
キャラバンサライの内部2
昔は 車の代わりラクダが沢山つながれていたことでしょう。
キャラバン・サライのなかに スイスの大使館があり ビックリ。
バロン・ホテル
アガサ・クリスティ、アラビアのロウレンス、リンド・バークが泊まったホテルにお茶しに行きました。
バロン・ホテル
ここで アガサ・クリスティはオリエント特急殺人事件を書きました。 ご主人が 考古学博士でしたからこの地をよく訪れたことでしょう。
バロン・ホテルの内部
アレッポ考古学博物館。
ユーフラテス川近くにあったマリ王国やエプラ王国から発見された粘土版や円筒印章が展示されていました。
クラック・デ・シュバリエ
1144年に移り住んだ聖ヨハネ騎士団が、標高約650メートルの丘に建つこの城を要塞化、本拠地とした。長期のろう城に耐えうるように食料貯蔵庫ももうけられた。当時の築城技術の粋があつめられ、第9回十字軍に参加していたイングランド王エドワード1世によって中世ヨーロッパにも影響を与えた。いたるところ 十字軍のなごりが残されている。
横側からみた城
城の入り口
暗く、急なドームのような登りが続く。
中の広いこと
内部の建築物はゴシック様式で、ホールも礼拝堂をそなえていた。
最も美しく残っているといわれる城砦内部は2000人の兵士が生活できるように厨房や教会が残っている。中にも内堀がある。
城主の部屋の飾りが残っている。
兵士の部屋の回廊。
本当に 圧倒され おなじようなところをの階段を上り また降りで迷路のように感じました。
城の頂上から城内を見下ろす。
目の前の屋上に観光客がのっているョ〜
城の石の階段の仕組み。しっかりしていてビックリしました。
パルミラ
砂漠を走り、待望のパルミラにつきました、夕方が過ぎており夕陽は見られませんでしたが、気分が高まっていることがわかりました。タドモールと呼ばれる砂漠のオアシスに忽然とその姿があらわれました。バルミラの名は、ナツメヤシを意味する「パルマ」というギリシア語に起源を持つといわれている。
砂漠の中、墓群と街群に遺跡はわかれ、はじめは墓群の遺跡を見て回る。 バスの中から。
エラベール家の塔墓と 遠くにアラブ城。
墓はすべて(塔墓でも、地下墳墓でも)鍵であけ、その係りの人の案内で入る。
奈良大学の斉藤先生が1952年、ボルハ・ボルパの墓を発掘。
ボルハ・ボルパの墓は地下墳墓ですが、中は変わらなく 幾つも棚があり、ミイラ化された遺体を仰向けにして棚に納め、土でふたをし、その上から その人とわかるよう 似顔を描く。しかしあとでは墓が不足してくると遺体を横にして一つの棚に何体か納めるようになり、また お金持ちは自分で塔墓ゃ地下墳墓を造れたが 今の時代と同じで 造れない人には 売っていたとのことです。
ボルハ・ボルパの墓。
幾つもの棚と奇麗な 彫刻の壁があり、すばらしかった。吉村先生と同じですね、気ながな仕事で、エジプトと同じで一年中できないから大変でしょう。
ボルハ・ポルハの墓の内部
保存状態がいいバールシャミン神殿
昼食のレストランより、遺跡のなかにあるオアシス
パルミラ遺跡
パルミラ遺跡のメイン。
夜はライトアップされてここで大勢の若者が 踊りをしており、わがツワーの人も数人参加しましたら 賑やかになり 喜ばれました。
アラブ城。
シルクロードの拠点であったパルミラは、シルクロードのバラといわれ、遺跡の規模もさることながら、建造物には当時最高の技術がつかわれ、栄華を今に伝えている。建物は ラクダに乗って見られる位置に目線があわされていた。
古代のマンホール
大きな円柱の前で/今回の旅について一言。ヨーロッパと違って枕銭には必要なし。しかし何か頼んだらチップ。トイレは1ドルで2〜3人、和式 紙べつ、ホテルの中はもちろん心配なし。3カ国ともドルでつり銭もドルで返ってきます、スークも大丈夫。プラグはBタイプかBF。食事はいただけました。コースもありましたが、バイキング形式が多いかと思う。年寄りの私達はコースが良いとの意見もでました。ラムか鶏肉が多いですが、日本のように臭みが無くラムも食べれました。ご飯もあり、スープも美味しく、二回白身の魚が出て美味しかった。生野菜も沢山出て、レバノンで生の人参を食べましたが、今まで食べたことのない美味しさで忘れられません。レバノンは一日しかおりませんでしたので、よくわかりませんが、とても優しく、好感がもてました。どの国も今は観光資源を大切にし、争うことがいかにマイナスか、解っていると思います。私達も観光客として現地の人と接する時は、きちんとした姿勢で接したいと思います。スークの中で歌われていた歌に、日本人の心無いものを感じ恥ずかしくなりました。お土産は、ドバイのラクダのミルクチョコレート、木工細工の品、泥パック、泥石鹸、アレッポの石鹸、ナツメヤシの実のドライフルーツ、綿織物、革製品。
遺跡の中を 昔、昔の栄華を思い・・・。
遺跡のご縁で。
近くに浴場もあり、水道管もローマ時代のものと、ビザンチン時代のものがありました。
遺跡の中央にある四面門
パルミラ博物館
ここには日本から援助金が 出されているそうです。
バルミラ博物館入り口
アラブ山から砂漠の中のパルミラ遺跡をみる。
アラブ城より

いつものように 談話室 長時間使いまして申し訳御座いません、暫く渡航危ぶまれ、何度トライしましたことか、行けて、とてもうれしかったです。
フリージアさんが 激励の写真をだしてくださり、たすかりました、彼女の優しさに推されて 完了しました、投稿するのも、本当に もう一度 旅をすることと同じで 思い出し ツワーの皆さんとのやり取りなど 懐かしくなり、でも これで 中東への旅が終わってしまったと思うと とても淋しくなります。
皆さん ありがとう御座いました。
(ファーマーさんより)
ゆりさん
本当にお疲れ様でした。
そして、貴重な写真を解説付きで投稿していただき、ありがとうございました。
それにしても、ツアーに参加される皆さんのエネルギーは凄いですね。一人旅の方が13人とのことですから、この地の世界遺産への関心が極めて高いのでしょうね。ゆりさんも含め、参加者の皆さん(とくに、大半の女性)に脱帽です。
(フリージアさんより)
ゆりさん
長大な旅を・・本当にお疲れさまでした。
一時、‘中東和平が成るか?’と思われたり、再び、入国できない危険な国とされたり、最近また可能になった‘シリア・ヨルダン・レバノン’へ出掛けられたのですね。国ぐにを駆け廻り、さまざまな印象を心に刻み込まれた事でしょう。
「世界的な歴史遺産の宝庫」のご紹介を有難うございました。貴女のパワーも、お裾分け戴きました。
ローマ劇場(注:シリアのボスラにあった劇場)で当夜ライブがあり、その準備で忙しそうだった。
チケットはダメでした。

このように 出したい写真を忘れたり、誤字が多いようですが 判断してみてください。
パルミラからダマスカスへ1
帰りは ダマスカスからドバイへ、ドバイから関空へ帰国、砂漠の中 走り続けて。
砂漠の中
中東 ありがとう    サヨウナラ〜
(ファーマーさんより)
ゆりさん
本当にありがとうございました。
10月31日〜11月4日(丸5日)、「ヨルダン・レバノン・シリアの旅」の投稿を頂き、厚く御礼申し上げます。160枚余の写真を的確なコメントつきで投稿いただいた努力に対して感謝の気持で一杯です。中東という所は、一般的には、なかなか行けないところです。その中東の魅力を多くの仲間に紹介していただいたことをとてもうれしく思います。異論もあったようですが、少数意見はいつの時代でもあります。多くの仲間が、とても喜んでいただけたことと確信しております。
(編集子より)
ゆりさん  沢山の写真とコメント、本当にありがとう。
僕は今「胃腸風邪」を拾い、最低の体調のため、文字入力も負担です。でもマウス操作は比較的楽なので、簡単には見られない地方を、おおいに楽しませて頂いています。ありがとう。
(楓さんより)
ゆりさん 旅の疲れを癒す間も無く 寝食さいて誠心誠意込めて 数々の写真コメント 本当に有難う御座いました。
私にとって未知の世界で 見るもの聞くもの沢山の不思議発見で感動し見せて頂きました。 貴女の気力・体力パワ-は どこから湧き出てくるのかと不思議な思いで 頭がさがり敬服してます。 心から 感謝申し上げます。
オマケ
旅の友人が写してくれたもので、数人の方にメールでお届けしましたら、珍しいといわれ、喜んでいただいたので談話室に載せてみます。
ナツメヤシの実。
現地人は3個食べたら一日働けるといったとか。このドライにしたものを1キロお土産に持って帰りました。味はプルンに似ていますが微妙に違います。
ドライにしたナツメヤシの実。
何でも値引きしてくれるお国柄ですが、10人以上が買いましたが、値引きなし。
('09.12.06 初掲) ←前ページ /